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【三つ子の魂百まで〜人は変われるのか?】

👥SNSで知り合った某氏と、私の済む街でお会いすることができた。おじさん2人が田舎の小洒落たレストランで3時間のランチデートw。

人との関わり方・物の考え方…どこか同じ血が流れている気がする。会話が止まることもなく喋りまくる初対面の2人。

☝️『三つ子の魂百まで』という言葉がある。人間年をとっても、幼少時代の性格や気質は変わらないことを意味する。(「源氏物語」が由来らしい)

彼も私もある意味特殊な幼少時代を過ごしたと言える。お互いあまり人に誇れるような家庭環境では無かったようだ。そしてそれをバネに彼は若くして起業し、現在は複数の会社を経営しながら、学生向けの起業教育を持ち出しで行っている。頭が下がる思いである。


『三つ子の魂百まで』の類似語に

・雀百まで踊り忘れず
→若いときに身についた習性は、年老いてからも変わらないこと。

・病は治るが癖は治らぬ
→病気は治せても、身についた癖をなおすのは困難であること。

・噛む馬は終いまで噛む
→悪い癖は最後までなおらないこと。

・頭禿げても浮気はやまぬ
→年を取っても、浮気心や道楽の癖がなくならないこと。
などがある。

👤私も本来人はそんなに変わらない(変われない)と思っている。

親から受け継いだDNAに抗(あらが)うことは出来ない(なにせ顔まで似てるんだから)。自己改革セミナーに行った友だちも何にも変わらないし「二度としません🙏🏻」と謝る手クセの悪い従業員は必ず同じ罪を犯す。

☝️要するに、人の性格は(幼少時代をベースに)そんなに変わることはないが、経験を通じて悪い所を表に出さない様に学習されているだけなのだと思う。

ゆえに普段は理性的な人が、何かの拍子にスイッチが入った途端に、ブチ切れたり暴力を振るったり、人を貶(おとし)めたりするのではないか?「魔が差す」の魔とは『三つ子の魂』のことかも知れない(上手いこと言った)。


この言葉はポジティブとネガティブどちらの性質であっても使える。彼の場合はポジティブに変換した好事例と言える。「蛙の子は蛙」でも、どこに跳ねるかは本人次第!

犯罪者の子供が犯罪者になる理由はない。
悔しかったら親を越えて見返せばいいし、同じ様な犯罪者になったなら、世間様から『あの親にしてこの子あり』と白い目で見られるだけのこと。(経験上(^^;)

【結論】 人間はそうそう簡単に変われない。でも経験を重ねることによってネガティブなことを自制し、ポジティブに変換することは出来る。『堪忍袋の緒』を強くしたり、『沸点』をより高くしていくこと、それこそが「変わる」ことではなく「成長」なのである。

☝️こんなんでどうでしょう? (笑)


※最後までお読み頂きありがとうございます!
 
あなたが失敗した時、迷った時、逆境の時、倒産地獄から生還した私だからこそできる励ましを届けたい。皆さんの力となり、笑顔になれる記事を投稿していきます。私もまだ発展途上です、一緒に成長していきましょう!
 

 
【小林 久ホームページ】

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