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ノーネイチャーネイティブな私たち③

はじめに
やまとわでは、私たちがどんな想いを持ち、どんな未来を見つめ、どんな事業を展開しているのかをまとめた「コンセプトブック」を、2024年春を目指してつくっています。
ここでは最近(2023年秋〜)の制作過程の様子をお伝えするだけでなく、プロジェクト発足当初(2022年12月〜)奥田さんに語ってもらった「コンセプトブックで伝えたいこと」をメンバーそれぞれの視点から振り返ったりしていきます。
七転び八起きなコンセプトブックづくりジャーニーを、一緒に楽しんでもらえたら嬉しいです。

前回前々回に渡って続いてきた“ノーネイチャーネイティブ”の記事も、いよいよラスト。
記事を書いている内野さん浅井さんと私は同世代なので、感覚が近いのかな、2人の記事に「わかるなぁ〜!」と共感しながら読んでいました。
今回は、私の視点で感じたことを綴ってみたいと思います。


田んぼも里山も、自分の一部

奥田さん:
「養老孟司さんが『田畑や海、森のめぐみによって身体がつくられている。ごはんを食べる以上それら無くして自分の身体は作られないから、田んぼや里山を見た時に自分の一部だと思えるのではないか?』と言ってて、めっちゃいいなと思ったんです。」

この話を聞いて、まず率直に感じたことは「田んぼや里山が自分の一部…!?そう思えるってすごいなー。」という憧れの気持ち。この感覚自体、他人事だなと思いますが、でも、率直にすごいなって思ったんです。

私は、森とか木が大好きだけど、自分の一部だと思ったことはありませんでした。そもそも、”自分の一部”という価値観が頭になかったからこそ、その言葉を聞いたときに衝撃を受けたんだと思います。

やまとわのスタッフは、移住者と県内出身者が半々くらいの割合なのですが、私は移住者組で大阪出身。新興住宅街で育ったので、周りに田んぼや畑はなくて、身近な自然というと公園に生えている木と街路樹でした。

やまとわの貴重な集合写真を撮る前の写真。
みんなの素が写っていて、個人的に好きな1枚です。笑

だけど、なぜか小学生のときにテレビの特集で見た「山村留学」に憧れていたし、“興味のある仕事をしている人へ、お手紙を書いてみよう!”という授業では、大阪では数少ない「森林組合」の人宛に書いていたし、生活している環境はノーネイチャーだったけど、きっと子どもの頃から自然とか木が、大好きだったんだと思います。

なんでだろう...?

なのに、なんでなんだろう。
”私の身体は自然でつくられているから、自然は私の一部”というのは、頭では理解できるけど、なんだか身体全体で理解できていない感覚があって。

ノーネイチャーネイティブ世代だから仕方ないのかなぁ。

“身の回りの風景が変わる”という経験で、危機感を感じたことは幸いにもまだありません。思い付くのは、街の飲食店が閉店して新しいお店になったとか、駅の周りが大規模に工事されて、新しくなったことくらい。 

この地域に住んでいるご年配の人は、「田んぼの水路には色んな生き物がいたけど、ほとんど見かけなくなった。」とか、「森に入ると、色んな鳥の鳴き声が聞こえて、今よりもっと賑やかだった。」という話をしてくれますが、私はそういった原体験がなくて、自然に対するモノサシがあまりにも少なすぎる。

自分の一部として感じられていないのは、そういった人たちに比べて、自然の中で過ごした経験と密度、そして時間が圧倒的に少ないからなんだろうな。

出勤時に、毎朝目にする南アルプス。

とはいうものの、私も山暮らしをはじめて10年目に突入しました。
身の回りの景色の中に山があるのが当たり前になっているから、都会に行って、ぐるっと周りを見渡した時に山が見えないと、少しソワソワします。そして長野へ帰ってきて、山が見えてくると安心した気持ちになります。

こうやって、じっくりと自分の”価値観”とか”当たり前”が変わっていくのかな、なんて考えていました。

馬に乗って移動をしていた50年前。未来はどうなっているんだろう?

奥田さん:
「生まれたときからノーネイチャーネイティブ世代のぼくらは自然と身体がつながっていた感覚を想像できないんですけど、そうなったのはここ50年の結構新しいデザインですよね。『じゃあもっといいデザインってあるんじゃない?』って、自然と暮らしの関係性をデザインし直すことが重要じゃないか?って話ですよね。」

この話を聞いたとき、フォレストカレッジの働くコースの中で聞いた、山主さん(75歳)の話をふと思い出しました。

フォレストカレッジの働くコースで山主さんから話を聞いている様子

山主さん:
「昔は山で作った炭を、馬に乗って町へ売りに行っていたんだよ。炭は、堀ごたつで使うから重宝されてね。せっかく町へ降りたから、帰りがけにお酒屋さんに寄って、帰る頃にはほろ酔いになって。馬に乗ってる途中で眠ってしまっても、馬は帰り道を知っているからトボトボ勝手に歩いて、家まで連れて帰ってくれるんだよ。自動運転!」

この話を聞いて、たった50年弱しか経っていないのに、こんなにも暮らし方が違うんだと、心底驚きました。50年前に馬に乗って移動している人が、まだいらっしゃったなんて。

車や電車、飛行機で簡単に移動できる便利な今の時代が当たり前になっているけど、それもここ50年くらいの誰かが考えた新しい”デザイン”なんだ。だからこそ、新しくデザインすることができるんだ…!というのが、自分の中での大きな発見でした。

きっと50年後の未来は、本当にドラえもんや鉄腕アトムのような世界になっているかもしれない。
だけど、自然ともいい関係性でいたいな。私たちが快適に暮らすためには、どうしても開拓しなきゃだけど、ちょうどいい折り合いを探し続けていきたいな、なんて思いました。

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