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横丁暮色 その3~人生いろいろ~



 横丁周辺に繰り広げられる人間ドラマは、多彩だった。
 単なる酔客で通過すればよかったものを、少し深入りしすぎたようだ。おかげで、余計なことも知ってしまった。
 

 ◆終着駅


 その店は一見(いちげん)さんだった。浮気性ではないので、行きつけの店が閉まっていたのかも知れない。
 影のある、暗い女性だった。瞳がうるんでいた。静かに飲みたい時には、自然と足が向くようになった。
 いつのころからか、暖簾(のれん)が掛からなくなった。おっかさんに訊いてみた。
「あのママ、ガンでね。今日、病院に見舞いに行って来たの」
 
 限界状態の中で店を開けていたのだろう。店で明るくふるまえ、というのは酷である。哀愁を帯びた瞳の意味も分かった気がした。
 おっかさんは報告しながら、表情を曇らせた。
 やはり、ママの復帰はなかった。どういう経歴の末に、人世横丁に流れ着いたのだろうか。御多分に漏れず、幸せな境遇でなかったことだけは確かだ。
 ただ、見舞ってくれる横丁の仲間がいた。薄幸のママにふさわしい人生最後のステージだった、と思うことにしている。

 

 ◆ママの涙


「静かだねえ」
 ある店のママが私に言った。何か考え事でもしていたのだろう。外は雨だった。時間がたっても、来客はなく、2人で飲んだ。
「私、ピンクサロンに勤めていた時、妊娠しちゃってね。勤め先を楽なバーに代えたけど、堕ろすお金がない。それで、お客さんの財布からお金盗ったことがあるの」
 酒が入り、ママのロレツが少し怪しくなっていた。

 馴染みになった客が席を立つと、ソファーの上に財布があった。堕胎費用分だけ抜き取った、という。
「後でお金返したわ。何のお金だったか説明すると『いいんだよ。分かっていたよ。君にあげたお金なんだよ』って」
 涙声で、よく聞き取れない部分もあった。

 ◆迷惑行為


 お客様は神様かというと、店には、ありがたくない客も、実はいる。
 ある店に、決まって入り口カウンターの隅で飲んでいる客がいた。
 勤め帰りに毎日、寄るらしい。一本のビールを何時間もかけて飲む。お通しは注文しない。退屈しないかと、他人事ながら心配する。いつもニコニコして、客の話を聞いている。定点観測されているみたいだった。

 これも、ママが酔った時、本音をはいたことがあった。
「私は迷惑してるのよ。あの客が私のオトコだと思ってるお客さんがいてね」
 普通、いわゆるオトコは店に居座ってはいけない。そんな店は早晩、客足が遠のく。私は焼き餅は焼かなかったが、快く思わないママのファンもいたようだった。ちょっとした騒動が持ち上がった、とママが語っていた。
 ママは程なく店をたたんだ。新天地で商売を始めた、と聞いた。ただでさえ、人世横丁から客が流出している時代だった。

 ◆おっかさんの恋


 おっかさんは信仰心が篤い人だった。店の神棚に青々とした榊(さかき)を欠かしたことがなかった。すべてを超越し、色恋などとは縁のない人生に見えた。
 おっかさんは店の2階に住んでいた。開店前に行った時など、上に声をかけると「あっらあ」と言いながら、顔を突き出した。
 いつものように飲んでいると、2階に人の気配がした。生理現象には勝てない。降りて来て、トイレに入った。
「お父さんなの。えへへ」
 お父さんも少し気まずそう。何度か見かけたことのある客だった。

 世間によくある、老いらくの恋ではなさそうだった。訳ありか。長い間、温めてきたのか、嬉しそうに
「籍いれてもらったの」
 と語った。
 やがて相方は病気で倒れ、郊外の施設に入った。時々面会に行っているようだった。
「家族です」
 堂々と、受付に告げていたに違いない。


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