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コマンド


 

 ◆予行演習

 家族から、鍼治療を依頼する電話があった。状態がかなり悪く、通院は無理らしい。
「一度診せていただき、何でしたら、定期的に往診しますよ」
 とは言ったものの、無事到着できるか心配だった。

 患者さん宅は散歩コースにはある。しかし、うまく相棒のエヴァンに、家の前で止まるよう指示が出せるかどうかだ。妻に付き添ってもらい、予行演習をした。その後、散歩のたびに確認しておいた。

 

 ◆ご褒美

 当日、教えられたとおり、ピタッと停止した。「GOOD(グゥ)!」と頭を撫で、常時携帯している褒美を与えた。おいしそうに食べる。私もうれしい。「アメ」も本を正せば、常食のドッグフードなのだが。

 この家には家庭犬がいる。犬には慣れていて、エヴァンも上がらせてもらう。治療中、部屋の中でじっと待っている。
 治療が終わると、伸びあがって反応する。ここで二個めのご褒美だ。後はいつもの散歩コースを帰るだけである。朝の散歩との違いは、時間短縮、途中で曲がって帰宅すること。これも何回かで覚えた。

 ◆状況判断

 何度も成功体験を積んだ。
 ところが、悪いことに、往診日とお盆が重なった。帰ろうとすると、帰省したのか誰かのクルマが、路上駐車していた。道は狭い。エヴァンも戸惑っている。うろうろしたため、私は方向感覚を失ってしまった。

 万事休すだった。
(こんな時に慌てると危険)
 心を落ち着かせていると、エヴァンが歩き出した。不安だったが、相棒に付いて行った。いつもの道ではない。『不思議の国のアリス』状態だった。
 しばらく歩くと、クルマの音が聞こえてきた。場所が分かった。エヴァンは散歩道を引き返していたのである。同じ道とはいえ、逆方向にたどると、私にとっては初めての道に等しい。

「BACK(バック)!」と指示した覚えはない。自分で判断したのだろう。確信をもって歩いていた。
 

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