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先祖調べ考(雑感)

昨日、この動画を見て色々と考えたことがあり書いてみたいと思います。
先祖調べで、一番多いと思われるご先祖様が農民なのでは無いでしょうか。

農機具も大したことが無く、馬や牛を使っていてもほぼ人力だった昔。
現代人の体力では、一日ももたないほどの活動量であったと思います。

良く母が
「昔の人は強いよね、子供を10人以上産んでるのに死なないし」
いや、そうではなくて。
多分、弱い個体は大人になる前に淘汰されていることでしょう。
大人になれば、正しい体の使い方をしないと生活出来ないほどの運動量を求められる生活になる。そりゃ、必然的に強くならざる得ない様な気がしています。江戸期に、外国人が撮影した写真がネットで見られますが。
多少、体の使い方に精通した方でしたら
「うぉっ」って思うのでは無いでしょうか。

本当に美しい調整の取れた体と、立ち方・座り方をされていて。
惚れ惚れします。生きざまが、総て現れている気がしてなりません。

そして、最近気がついたのが。
農家のご先祖様、なぜか子供の誕生日が片寄っているのです。

これも、母の話で気がついたのです。
母方の祖母は、茶農家出身。
ただ、夫と町場で生活して、商売をしていたので子供の出産時期などは考えずに「子を儲ける」という行為をしたはずなのです。

しかし、母の弟。
要するに叔父が生まれた時、当時はまだ病院で出産することは稀でした。
基本、産気づいたら自宅に産婆を呼んで出産する。

里帰りが出来る人は、里帰りするでしょうけれど。
出来ない人は、実家や親戚から女性を呼んで世話をして貰っていたそうです。そのため「でぶるまい」という物を前持ってするとか。

文字にすると「子供を出産する前に、世話になる方に食事などを振る舞う」。イコール「でぶるまい」をしたそうです。そういう風習が静岡の安倍奥にはありました。

ですから、叔父が生まれた時。
母は、祖母に言いつけられ。路線バスに乗って、祖母の実家まで曾祖母を呼びに行ったそうです。何も出来ない娘に変わって、家庭の一切を取り仕切って貰う為に母親を呼んだということですね。

所が、折しも春真っ盛り。
茶農家は、お茶の繁忙期。

曾祖母は、遠路はるばる路線バスに乗ってやってきた孫娘を見て
「遠い所来て貰って悪いが、今はお茶の繁忙期だろ。私は行けないってお母さんに伝えて貰えるかい」
そう言いつけて、家に戻したというのです。

母曰く「お茶の繁忙期に子供を産むなんて」ってお祖母ちゃんは思ったのかも知れないね。と笑っていました。
そうなのです、農家での出産は当然嫁も働き手なので。
出産を農繁期にすることは、出来なかったのですね。

だから、子供の出産時期を調節する。
そう言うことも、昔の夫婦は必要でであっただろうと思うのです。

戸籍をお持ちの皆様、一度明治期の子供達の誕生日を並べてみてください。
もしかすると、農家だった場合。
農家で無くても、都会の核家族だった場合。
色々な家庭事情が透けて見えるかも知れません。

ちなみに、我が祖母の兄弟はほぼ冬場の生まれです。
何人かは、お盆前後の産まれ。

当然、これは狙って産む時期を決めているのだろうなと。
戸籍から、憶測ではありませんが色々と読み取る情報があります。