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怒りをこめてふり返れ 1988 ①

日本では来月下旬にリリースされるデヴィッド・ボウイのボックス『ブリリアント・アドヴェンチャー 1992‐2001』は、彼のアーカイヴ・ボックス・シリーズの90年代編にあたる。

この時代のボウイにとって重要な存在だったのが、ティン・マシーン期からの右腕だったギタリストのリーヴス・ガブレルスで、本ボックス収録の『アウトサイド』(1995年)『アースリング』(1997年)『アワーズ』(1999年)に全面参加、後2作では共同プロデュースも務めている。

そのボウイとガブレルスの初コラボレーションにして、最高の成果のひとつだと断言したいのが、1988年の”Look Back In Anger” ニュー・ヴァージョンだ。

カナダのコンテンポラリー・ダンス・カンパニー、ラ・ラ・ラ・ヒューマン・ステップスの主宰者/振付家であるエドゥアール・ロックから、ICA(現代芸術協会)ベネフィット・コンサートでのパフォーマンス用に楽曲依頼を受けたボウイは、1979年の自曲をリメイク。

そのリワーク/レコーディングの際に起用したのがガブレルスで、このコラボレーションが発端となり(セイルズ兄弟のリズム隊がその後合流)、翌年のティン・マシーン結成に発展するわけだが、この新録音ヴァージョンはその前哨サウンドであるだけでなく、ソロ・アーティストとしてボウイが本来進むべき方向性を指し示した重要作だと思う。

当時の音源リリースはなく、1991年の再発版『ロジャー』のボーナス・トラックとして登場。アヴァンギャルドなガブレルスのギター・ワークとアーダル・キジルケイが打ち込んだリズム・トラックは実験的なニュアンスも感じられ、ティン・マシーン以降のボウイがガブレルスとのコンビで発展させていく音楽的方向性がすでに提示されているが、一方でこのふたりを中心とした当初のプロジェクトが以降、バンド名義の作品に変質していく過程は非常に興味深い。

初披露は7月1日、前述のベネフィット・コンサート、”Intruders at The Palace”でのラ・ラ・ラ・ヒューマン・ステップスとの共演という形でロンドン、ドミニオン・シアターで上演。ガブレルス(ギター)とキジルケイ(ベース、※ドラムはマシンを使用)、ケヴィン・アームストロング(ギター)の演奏をバックに、ボウイは同カンパニーの女性ダンサー、ルイーズ・ルカヴァリエらと素晴らしいパフォーマンスを行っている。
(なお、ここでのダンスや振付けは、ボウイが初めて見た彼らの作品だという1985年の “Human Sex” のそれがベースになっているようだ。)

この日のロックとコンテンポラリー・ダンス、映像が一体となった8分間のパフォーマンス(同年9月にニューヨークで再演)は、すでに60年代からボウイが志向していたマルチメディア的な表現ヴァリエーションのひとつであり、無名時代から彼が目標としていたロックと舞台演劇の融合をこれまでにない形や規模で成し遂げたのが、70年代の「ジギー・スターダスト」やダイアモンド・ドッグス・ツアー等であることはご存知の通り。
ボウイにとっては前年のグラス・スパイダー・ツアーの雪辱戦の意味合いもあったのかもしれない。

そして、ドミニオン・シアターで用いられた映像/舞台コンセプトはさらに昇華され、前出のエドゥアール・ロックがアート・ディレクターを担当した1990年のサウンド+ヴィジョン・ツアーの舞台美術として結実。ステージでは先のルイーズ・ルカヴァリエもゲストとして登場している。

以降、ボウイがソロに本格復帰してからは、2000年に計画していたロバート・ウィルソン演出の『アウトサイド』5部作やジギー・スターダストの映画/舞台化など、いずれも実現しなかったが、90年代中盤以降、モダンアートやインターネットへの傾倒・関心を自身の音楽活動にフィードバックさせていたボウイにとって、再度こうしたマルチメディアを駆使した舞台芸術がアーティストとしての野心を駆り立てるプロジェクトだったことは間違いなく、当時のインタビューでも同様の発言をしている。(『ミスター・ショービズ』誌 1997年3月号)

実際、彼が自らの方向性を取り戻すのにはもう少し時間を要するが、この “Look Back In Anger” ニュー・ヴァージョンこそ、80年代の商業主義と決別し、本来自身のあるべきアーティスト像へ立ち返ろうとする、ボウイ渾身の一撃だったのだ。
                                                                                                         (つづく)

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