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十五夜

じゅうごや

陰暦8月15日、中秋の名月のもとに宴を催し、豊作を祈願する月見行事。

 陰暦の15日、満月の夜のこと。三五(さんご)の夕べとも。特に陰暦8月15日の夜を指し、「中秋の名月」のもとに看月の宴を催しました。月見団子・芋・栗などを供え、ススキや秋の草花を飾ります。かつては供物を子供たちが持ち去るのを喜ぶ風習もありました。享保20年(1735)刊の『続江戸砂子』は、「名月」として今宵は歌人騒客(かじんそうかく)の晴を期する夕とし、今宵の月を鑑賞することは、およそ中国唐代から盛んなどと記しています。船を出して水辺の月見を楽しむことも行われ、江戸には隅田、品川はじめ名所が多数ありました。
 十五夜は芋名月(いもめいげつ)とも呼ばれるように、里芋はじめ芋類を供えることが多く、本来、芋の収穫儀礼であった祭儀が、稲作の普及に伴って米の収穫儀礼と結びついたともいわれます。南薩摩の十五夜行事は豊年祭で、鹿児島県南さつま市坊津町泊(ぼうのつちょうとまり)に伝わります。また同県与論(よろん)島に伝わる与論十五夜踊は、与論城(グスク)跡の琴平(ことひら)神社で島中安穏と雨乞、五穀豊穣を祈願して奉納されます(いずれも国指定無形民俗文化財)。宮崎県椎葉(しいば)村の臼太鼓踊(うすだいこおどり)も旧暦8月15日に奉納されることから十五夜踊と呼ばれます。童謡「十五夜お月さん」は野口雨情(のぐちうじょう)作詞、本居長世(もとおりながよ)作曲で、大正9年(1920)に発表されました。なお、陰暦9月13日にも月見の風習があり、芋名月に対して豆名月と呼ばれます。

月に秋草図  長谷川雪旦筆  東京国立博物館蔵

中秋の名月を中幅に、それ以前に収穫される麦と大豆を右幅に、以後に刈り取られる稗(ひえ)・稲・粟を左幅に描いています。五穀豊穣(ごこくほうじょう)の願いや感謝を込めているのでしょう。雪旦は町絵師として活躍したのち唐津藩小笠原家の御用絵師となりました。『江戸名所図会(ずえ)』の挿絵を描いことで知られています。

江戸時代・19世紀
絹本着色
各94.8×33.3

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