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映画『海獣の子供』 感想 と 備忘録

感想


 公開当時に劇場で見て以来、レンタルショップで借りてもう一度見ることにした。

 この人物描写の画風をアニメ映画にできることに感心したし、背景描写、生物の描写の演出がが極めて美麗である。
なにより、人文科学、自然科学など万学を参照しもう一度見たくなる圧倒的な構成の劇作であった。誰かの言葉を借りれば、「きわめて豊かである」。

 漫画版を未読である僕が見た限りでは、次の三つの大きなテーマが作品内に通底しているように思われた。

一、音声と文字による形而下言語のみでは叙述できない膨大な量の情報の存在とその重要性。
二、物理現象、生命現象のスケール階層間、物理現象と社会現象との間での、構造の保存と相似性の提示。
三、他人から「みつけてもらう」ことによる人間的成長。

 一番目の言葉には表せないものがある趣旨についてこれに沿うように劇中の描写は徹底的に台詞と文字よりも動作や背景の作画に情報を委ねた方向性のものとなっていた。ここに僕はこの作品の映画的美が詰まっていると感じられた。なのだが、原作を既読している人など、過剰に抽象的で難解であるように思われたり、本来原作はそうでないのに矢鱈と観念的であると感ぜられたりしたそうで、果たして実際のところはどうなのだろう。
米津玄師による主題歌の海の幽霊はその歌詞がこちらのテーマを強調したものとなっている。

 二番目の、冒頭のエコロケーションをこの映画の世界観でソングと呼称するところ、老婆による星々と海の対比の語り等から始まり、中盤で海洋科学者アングラードから宇宙と人間の構造の関連等が示唆され、最後に「祭り」によって、作者や映画作家によるその相似性の解釈が提示される展開となっていた。この「祭り」が何度見てもあまりにも難解であり、これの意図するところを僕が掴むことは永劫叶わないように思われる。

 三番目。冒頭のハンドボール部の練習での部員とのトラブル、家庭内の回収に出していない飲み終わった多数の缶ビール等で、もしルカに克服しなければいけない者があるとすれば例えばそれはなんなのかが提示されている。ウミとソラとの邂逅により、ルカが何を心中で求めているかに気付く。「見つけてもらう」の語彙は作中で幾度か繰り返される。海棲生物とのふれあい、自身の海の子供への変化とウミとソラへの愛情の形成、そして最後に「祭り」の「ゲスト」としての使命の実行を経た。家族との関係の前進とそしてエンディング前ラストシーンでのルカと対立していたハンドボール部員への反応でルカやその家族らの成長が示唆されている。また、老婆によって自身の存在の泰然自若たる受容の是認が祭りの果てに提示されていた。

 二時間の描写でハイライトしたいものを限定するためなのだろうか、短時間登場していた、ジムやアングラード、もう一人の学者が対応に追われていた海軍の思惑と「海」とのかかわりについて映画を見るだけではたんにそれについて想像を巡らせるしかないという結果になった。原作は描写がほかにも多数あり、こちらについても詳細が書き残されていたりするらしいとのこと。

 劇伴音楽の担当者が久石譲であるらしいのだが、序盤あたりはスタジオジブリ作品や初期北野武監督作品のような久石っぽさをなかなか見つけづらい作曲になっていたものの、中盤の海辺のシーンでのある楽曲で、休符と弱音によるピアノ演奏はいつかに聞いた彼らしさを感じられるものであった。

 昨年初夏にこの映画を初見したとき、この映画は原作者やスタッフキャストが信仰する、我々のものとは別の宗教の信仰心を表現するためのインスタレーションだという印象を持ったのであった。宗教芸術である。

 このご時世に、無事部屋に籠り感染防止への協力を達成すべく、繰り返しの鑑賞によってさらに豊かな味わいを得られる映画として強くみなさんにお勧めしたい映画作品である。


備忘録

1. イントロ 幼少時のシーン
2. キーワード「ソング」初出 マンハッタンにくじらなので、ここから「海」側の「祭り」の準備が開始か
3. このシーンの鯨は鯨であると同時に、百目鬼など、生物でない怪異として表現されている?
4. ハンド部員との軋轢、道中での転倒、ビール缶の堆積の描写から示唆される家族との不和など、ルカの克服すべき課題が提示される?
5. 物語を開始する「ふとしたきっかけ」としての、昔の思い出のある水族館への訪問。両親が江の島水族館の職員だとわかる。
6. 職員専用箇所へ。まだこの時点ではルカは海中に不適応。ウミとの邂逅。ウミとソラはジュゴン(水族)に育てられた。
7. これを機にルカは水族について調べ出す。ウミと違ってソラは陸上へ適応していないと聞かされる。
マンハッタンでの巨大鯨という現象の報道。
8. 学校。部員への謝罪を躊躇。そこでウミと再び会う。水を浴びなければいけないという描写。
9. ウミと街へ出る。
10. 浜辺へ。彗星をみる。これをウミたち水族は「ひとだま」と呼称。ルカはこの場面で内心の欲求として周囲からの承認(「みつけてもらう」こと)を自覚。
11. 24:42 大雨の中自転車を漕ぐシーン。この映画の特筆すべき場面描写美術のひとつ。自動車やルカと自転車を魚の形をした水が囲っていたがこの雨も「祭り」の前兆を意味す?
12. ジムとルカの会話。この時点で録音した海棲類のエコロケーションを「音楽」と呼んでいた。徐々に水族に適応していっているのか。
ここで言語と描写行為によって捨象されてしまう、諸現象内に内包されている豊富な情報というテーマが初出する。たとえば森博嗣の推理小説の地の文で複数回登場した理念だ。
13. ソラとの邂逅。彼からも言語外情報について聞かされる。この作品の世界観ではそれは浜の砂や貝の音、波など海を構成する諸要素に秘蔵されているとのこと。
・ソラ「海はルカに興味があるのか?」
ルカは、口で鼻持ちならない旨を言いつつ、のちにはかなげだとソラについて回想。

「同じ匂い」がするとし、「海」の世界とルカが特別な関係が示唆されるが、どうして同じ匂いがし出したかは作中では明かされなかった?

14. 31:00 この世界観で星空と海に強い関連があることが示唆される。
15. ルカの水族館初仕事。
ウミとソラの距離感により、陸上の人間と水族とはパーソナルスペースの観念に相異があることが描写?
母の来訪。母が伝説的人物だと示唆。母からかくれんぼ
16. 船を出すが海上でエンスト。
ここでウミとソラの寿命の話が出る。
17. ルカの海中初潜水。完全には適応していない。ここで見た鮫の大群が異常現象であり、「祭り」への準備か。
主題歌題名である「海の幽霊」の語彙初出。
18. ジムともう一人の学者の対談。ここで「祭り」の語彙が初出。予兆を追跡しているとのこと。
19. 帰宅。叱られる。親との不和という課題が再提示される。
20. 打上げ死骸事件。ウミ気絶。ソラ行方不明。
ウミの救出。人工呼吸の試行によりウミへの照れが消え、ウミへの深い愛情が確立される?
21. ウミに海中に連れられる。より高い水泳能力を得て、「海」にさらに適応か。「守ってあげなくちゃ」
22. 45:50 ソラとの合流のため?嵐の中トラックをヒッチハイク。
距離の標識だが、小田原と熱海の距離は現実的なものの、実際の藤沢から下田への距離は130kmほどで、この表示は205kmと、70kmほど長い。なのでこれは「」つきの、おそらく異界としての「下田」なのだろう。
23. このトラックが白い魚の大群の中を超えることで「下田」に突入か
24. ソラも「下田」に。
アングラード「ウミがルカを連れてきた」
「海」について「用心したほうがいい」存在と聞かされる。
25. ジムらと海軍の人間の交渉。このシーンの存在は「海」と「祭り」が人類のコントロール下に置けそうに思えるが実際はどうなのかというのを描くための布石として挿入されたもの?
26. 「祭り」まであとわずか。
27. 夜光虫の不思議な現象をソラに教えられる。
28. 料理のシーン。ジブリとタメを張る。人間と「海」とのかかわりの一側面を示唆したりするのだろうか?
29. ソラの変調。現代科学では水族の人間であるウミソラのことを理解することが叶わない。

30. 57:14 アングラードから
・観測行為では逸失する情報や存在についての暗黒物質を例に出した示唆
「宇宙は人間に似ている」から始まる、階層間、物理-社会間の相似性の示唆
これがのちの「祭り」の描写の布石となっている。
31. ウミの発熱。看病による愛の深化、母性の発揮。ここで子守唄が出てくる。
32. ソラに浜辺へ連れられる。「歌」を聞く。ここで完全な水泳能力を得る

33. デデによる「海」と世界、人間の説話。ルカが「祭り」に関与する存在であることを示唆
34. ソラから「隕石」の口移し。これをルカが腹を割いて渡す、という。浜辺の生き物の集団移動、ウミとソラの時間切れは思ったより早い。

35. ソラの消滅と同時に大きな「音」を聞いてしまう。精神的負荷が相当に高い様だ。
36. 68:08 家のシーン。ビール缶を片付けることと二人の会話など、不和にあった両親の歩み寄りが示され、当初の課題である家族同士の承認へ前進しだす。
37. ルカとウミが藤沢に戻される。目のハイライトを喪失。口語の言葉も喪失。藤沢で日本人がやる方の祭りが対照として描写される。ここで二人が再度合流。
38. 水族館の生物が一斉に一方向を向く。いよいよ祭りが近づいていることが示唆。
39. ルカがデデの船に乗る。このときルカは「ゲスト」としての自覚をすでに備えている?
40. ゴムによる星の歌をデデが演奏。子守唄を思い出す。ウミの手を握っている
41. ルカが無意識のうちに海へ飛び込む。向かう先は「海」の「祭り」の行われる場所。
42. この鯨も百目鬼としての側面がある?
43. いよいよ隕石の受け渡し。ルカは「ゲスト」としてすべてを見届ける決意。ソラの幻影は「海」の使いの者としての予言の伝達のみをおこなっている?
44. 海軍にはブラフを。
ジムの「別の道」とは何だろうか?
両親の協力の申し出
45. 「祭り」開始か。まずは浜辺とウミとの夢を魅せられる。これってもしかしてアダムイブかイザナギイザナミ的な何かだったりするか?
46. ウミ?のタツノオトシゴがいて、つかむと光となって散る。
47. 本番が始まる。老魚と隕石が呼応。
48. 展望台でのアングラードの説話、デデの語る寓話で布石が敷かれていた「祭り」の描写。感想本文二番目のテーマをこの場面に集約してそれをインスタレーションとして表現したのか。
49. この「祭り」が行われるのはアングラードの語る星の死を受けて新しい星あるいは「星と海」の要素の誕生をさせ、それを祝福するためだったりするのだろうか。
50. 86:29 カラビ・ヤウ多様体?
51. あまりにも「祭り」シーンに難解な点が多すぎる。
52. 両親は「星と海」「祭り」についは無知なのか?
53. 日常への回帰。デデとの再会。自分の今の有り方を赦すことを訓示される。
54. 帰宅の道中で落としたボールを素直に返すことで、ウミとソラとの出会いから祭りのゲストの遂行までの経験が活きていることを提示し、当初の問題を回収したとしてエンディングに突入。
55. このエンディングシーンの椅子は原作にその意味が隠されているらしいとのことだが…。主題歌担当の米津は原作読者で、歌詞もそれに準拠したものとのこと。
56. ED後に次女誕生。母親が出産直後よろしくめっちゃ丸くなってる。この出産で祭りでの階層間の相似という定率を補強したのか?