他人の批評を気にしないほうがいい理由
こんにちは!
しがない美大生やみこです!
今回は他人の批評や解釈を気にしない方が良い理由についてお話ししていきたいと思います。
本のあとがきや訳書きなどで他人がその著者の本に対して何か書くと言うことがあります。
今回お話ししたいのはこれとは違いウェブサービスなどで著者ではない人が自分の解釈をまとめたというものです。
今回はそういった他人の批評や解釈がなぜあなたにとって良くないのかということについてお話ししていきたいと思います。
1. 「当たり前」の違い
人は誰1人として同じ人生を歩んできたと言う事は基本的にあり得ません。
同じ人生を歩んでいないからこそ根本の定義が違っていたり当たり前の認識がまた価値観が違ったりします。
例えばリンゴを見て「赤いな」と思う人がいる一方で、「この匂いは抽出しにくくケミカルな合成で作られている人工物がたくさんある」と思う人がいるとします。
後者の人が赤いと言うことに関しても知識を持ち合わせている人ならばまだ救いはあるかもしれません。
しかし、後者が自分の当たり前の前提に立った上で持論を展開した場合前者の人のような読者にはなかなか伝わりづらいということがあるのではないでしょうか。
この不一致を緩和せるために常識と言う言葉が使われます。
しかし常識といえどもその幅は明確に定義されているわけではありません。
1つの単語であっても様々な国語辞典によってその解釈は若干異なる場合があります。
そういった意味で他人の脳みそと自分の脳みその理解を合わせる事はバックグラウンドがより違えば違うほど難しいのです。
2. 主張者が有利
主張者が有利とはどういうことでしょうか。
書きてである主張者も、読み手を説得させるために順序立てて物事を話します。
例えばそれが作者の意見に対する反対の物事を言っていたとしても主張者のその術中に巻き込まれてしまうと言う可能性があります。
読者も作者もその主張者の話についてものを言うことができません。
そのためクレームしている主張者の独断場になってしまう、主張者の怒りが読者の怒りになってしまうといったことが多々あるのではないでしょうか。
そういった意味で書き手の主張を真実として捉えてしまうことがあると思います。
これは作者の述べている真実を隠していることもあります。
また、単純に忘れていることもあります。
3. 単純に文脈のエッセンスが削ぎ落とされている
ここでは少し例えを用いてお話ししたいと思います。
あなたはとても有名なホテルのパフェを食べたとします。
そのホテルのパフェはとても高いので多くの人が行きたいけれど行けていません。
そこであなたはそのホテルのパフェを自分で再現してお店でやろうと思いました。
そこで出来上がったホテルのパフェは本物でしょうか?
このように本家では無い二番煎じの、また実際に指導を受けていない人による生成物というのは、大概にして粗悪品であるという可能性があります。
例えばシナモンシュガーを振り忘れるといったことや使っているヨーグルトの種類が違うといった細かなところからその味の解釈はまた変わってくるのではないでしょうか。
これがどんどん派生していくと、原型をとどめておくといった事はかなり難しくなります。
それはまるで噂話が尻尾やはねをつけて飛び回るような、
あなたはもしかしたら偽物の情報をつかまされているかもしれません。
まとめ
いかがだったでしょうか。
説明文の読解については中学校や高校でも教育された方が多いと思います。
しかし現在主張している全ての人が正しく文脈を読むことや要点用紙の理解ができているかという点については疑問が残ります。
不完全な人間に求める完璧と言うのは端から難しいことなのかもしれません。
やはり自分で経験するというのが大切なのではないでしょうか。
何かしらのお役に立てていれば幸いです。
本日も最後までご覧いただきありがとうございました!
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