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寿地区を走り回る原始人の記録

野本三吉『寿地区の子ども 裸足の原始人たち』(田畑書店、1974年初版)

 名古屋市内で定期的に開かれている勉強会で、次回取り上げる予定の本。強烈な磁力のある本で、紹介される子どもたちと一緒にドヤ街をさまよっているような気持ちになった。ノンフィクションの迫力だ。

 港湾関係を主に、どんな仕事もこなす日雇い労働者。「彼らの多くは農漁村出身者で、デカセギというかたちで都会に吸い寄せられるのである」(p.251)。新たな発見はたくさんあったのだが、とくにこの一文を読んだ私は、いま名古屋市内で関わっている外国ルーツの労働者とその子とのアナロジーが浮かんだ。1970年代前半の寿地区の観察記録、つまり歴史は、まさに外国人とのインクルージョンを目指すための現代の課題としても新鮮な記述に満ちていることに気づいた。たしかに最初は「デカセギ」であっても、寿から田舎に帰る人は殆どいなかったようだ。デラシネである。

 「親が子を捨てる、ということはよく聞くことである。しかし、寿の街では、生活能力、養育能力を失った親を、子が捨ててゆく」(p.185)。日雇いのおっさんしかいないのだと思っていたドヤだが、家族で暮らす人々もいるのだ。そこで不安定な労働と飲酒、賭博などで父ちゃんが身を持ち崩すと、愛想をつかした母ちゃんが逃げる。子連れで逃げる母ちゃんもいるが、飲んだくれの父ちゃんとともに置いてきぼりになる子も少なくない。学校に行かない。DVを受ける。カネがないから万引きやかっぱらいなどの非行に走る。

 弘子ちゃんという中学2年が「施設に入りたい」と言いに来た。保護者の承諾が必要だが、父親はガンとして反対。子を施設に入れるのは世間体が悪いというのがその理由だ。しかし弘子ちゃんの決意は固い。「そんなこといったってね、とうちゃん。あたしは学校から帰ってきたって勉強することだってできないんだよ。毎日毎日とうちゃんにぶんなぐられてさ。夜だってちゃんとねられないんだから。とってもあたし、生活できないよ。あたしはあたしで、ちゃんと生きてゆくから、とうちゃんは心配しなくていいよ」(p.185)

 「オレ、どこでもいいよ。家じゃなきゃどこでもいい。施設の方がずっといいよ。」「オレ、とうちゃんもかあちゃんもいらねーよ。サンダースホームへ帰りてえんだ。」富美雄君は生まれてまもなく、大磯の沢田美喜さんの施設(エリザベス・サンダース・ホーム)へ長いことあずけられ、数年前に両親のもとにひきとられたのであった。」(p.172)

 子が親を捨てる。だが捨てたと同時に子は帰る場を失う。だから「施設」という発想になる。

 生きていくためになにをどうすればよいのか。それを学ぶ家庭という場が欠落している。元小学校教諭の野本さんらしく、子どもには生きていくための教育と学校教育が必要だという。本来、この二つは相互に関わり合いを持つべきもののはずだ。しかし現在の(1970年代の)学校教育は「国民化」だ。「生活教育は、学校教育の中から消滅してゆき、教科の系統学習といったことが主流を占めるようになってしまったのである」(p.247)。

 約300万人の外国人が今、日本で暮らしている。外国人の子どもたちが、地域の小中学校、高校にソフトランディングするためにはどうすべきか、という議論、公立夜間中学の満たすべき環境についての議論は多い。しかし実はそれ以前に、彼らが地域でどんな暮らしをしているのか、家族との関係、親の考え、彼らを受け入れる地域の態勢……。子どもたちが安心して生活できるためのそうした基盤を視野に入れた教育がなければならないのではないか、と野本さんならいうのではないか。ではその「生活教育」をだれが、どう実践するのか。親や地域の理解を深める活動、学校との連携、その他もろもろの態勢整備が子どもたちのために必要、ということになる。それはきっと、学校だけでなく私たちみなが取り組むべき課題なのだな。

 野本三吉さんは1941年生まれ。小学校教諭だったが、相対評価によってクラスのだれかに必ず低い評点を与えなければならないルールや過度の管理に疑問を感じ退職。全国放浪の後、横浜市職員として日本の三大ドヤ街の一つ、寿地区に生活相談員として住み込み、日雇い労働者とその家族、とくに子どもたちとつきあう毎日を過ごした。後に沖縄大学学長まで務め、今は横浜市内で地域活動を行っている。

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