大人になるためのリベラルアーツ

大人になるためのリベラルアーツ

研究テーマに関連のあるシンポジウムで紹介されていた1冊.科学の発展ともに社会全体で意見が分かれてしまう問題,科学に問えるが科学だけでは解決できない問題を10個ほど取り上げ,学生・TA・教員がディスカッションを展開する授業を書き起こし,出版用に編集された本.

”科学に問えるが科学だけでは解決できない問題”をトランスサイエンス問題と言ったりします.

トランスサイエンス問題は,

通常想定されている科学研究によって、この疑問に対する「正解」を導き出すことはできないという特徴

(※この疑問とは,原発事故から生まれる1つの答えに集約できないいくつかの疑問のこと)
があります(小林,2015).

この本の中で取り上げられているのは,コピペは不正なのか,代理母問題,グローバル人材は必要か,など立場によって意見が異なる(し,どの意見も簡単に蹴散らすことができない)難しい問題ばかり.

こういった問題を考える背景には,「自己と他者の違いを認識する」ことが挙げられます.私自身は1つのことに集中するのが苦手で(かといってマルチタスクを極めたわけではない),勉強でもそうでなくても様々なコミュニティに属した経験から,目の前にいる人を偏見なくフラットに見ることが大事なんじゃないかなと感じていました.つまり「自分は自分,人は人」的な冷めているとも思えるスタンスを貫いています.これで困ったことがないのであまり気にしていなかったのですが,このような本が出ているということは世の中は意外にも私みたいな人は少ないのかもしれないとも思います.

「自己と他者の違いを認識する」ためには対話が必要だとよく言われますが,対話ってなんでしょうか?対話というとどうしてもミクロなコミュニケーションのイメージしかできず,ミクロな対話を続けた先にマクロから見ると誰もが「自己と他者の違いを認識」できる世界が訪れるのか,疑問に思います.仮にミクロな対話の蓄積の先に「自己と他者の違いを認識」できる世界が訪れるとして,どんな対話をすればいいのでしょうか?

あなたと私は違う.みんな違ってみんないいの世界を,私は見ることができますか?


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