見出し画像

劇中歌がある映像作品が好きだ、って話。

 私は、劇中歌がある映像作品が好きだ。

 劇中歌と一口に言っても、今回はミュージカル映画のようにセリフの延長線上の形で登場する歌のことを言いたいのではない。物語上に出てくるキャラクターが、アイドルや歌手といった形で歌っている、そんな作品が好きなのだ。


 そんなことを思わせてくれたはじめての作品が、NHKの朝ドラとして2013年に放映された「あまちゃん」である。私は当時、親が「あまちゃん」を視聴しているそばで、見るともなくドラマを見ていたのだが、終盤になるにつれそのストーリーに、そして劇中歌にどんどん引き込まれていったことを今でも覚えている。

 そして今年2023年、10周年イヤーを迎えた「あまちゃん」を記念してドラマの再放送が行われた。頭から終わりまで全ての話を一通り見終わり、改めて「あまちゃん」の脚本の巧みさを音楽の素晴らしさに感化され、こうして筆を取っている次第である。

 作中を通して、ヒロインの天野アキはさまざまな歌に触れていくこととなる。彼女がはじめて出会った歌が「潮騒のメモリー」である。同名の映画を主演した鈴鹿ひろ美が歌っていた(とされていた)曲であった。それまで北三陸市で海女を目指していたアキは鈴鹿に魅了され、やがて芸能界を志すように。同じく東京でのアイドルデビューを目指していた親友・足立ユイとともにご当地アイドル・潮騒のメモリーズを結成、北三陸鉄道のお座敷列車やアキの提案によって設立された海女カフェで同曲を歌うことになる。

 その後、荒巻太一によってスカウトされたアキは、東京の地でアイドルの道を進むことになる。代表曲に「暦の上ではディセンバー」を持つアイドルグループ・アメ横女学園の2軍グループ・GMTでの下積み、鈴鹿の付き人としての芸能生活、GMTのデビューシングル「地元に帰ろう」への歌唱参加からの事務所脱退と、アキは波瀾万丈な人生を送っていくこととなる。特にアキにとって衝撃が大きかった出来事は、実は「潮騒のメモリー」を歌っていたのが鈴鹿ではなく、アキの母親・天野春子が歌っていたという事実だ。何を隠そう、鈴鹿は極度の音痴だったのだ。そこで当時のプロデューサーである荒巻は、東京でアイドルを目指していた当時の春子に声をかけ、落武者影武者として歌ってもらうことにしたのだ。

 事務所を脱退したアキは、新たに設立された春子が社長を務める芸能事務所の所属タレントとして、芸能界で奮闘。ついにはオーディションを勝ち抜き、「潮騒のメモリー」のリメイク映画ヒロインとして憧れの鈴鹿との共演を果たす。そして主題歌として「潮騒のメモリー」も歌唱したが、映画公開直後に東日本大震災が発生、映画の公開は打ち切りとなる。

 震災後北三陸に帰ってきたアキは、津波でウニが流されてしまったため営業ができなくなった海女クラブの再開と半壊した海女カフェの復興、そしてユイとのユニット・潮騒のメモリーズの再結成を目指して尽力することとなる。そんな最中、鈴鹿が海女カフェでチャリティーコンサートを行うと自ら企画し、鈴鹿の一部始終を知っているアキは大きく驚くじぇじぇじぇことに――。

 ――というのが、アキと歌との関わりから見た、「あまちゃん」の大まかなあらすじである。このように、作中のキャラがアイドルとして「暦の上ではディセンバー」や「地元に帰ろう」、そして「潮騒のメモリー」などの歌と関わっているというのが、本ドラマの特色であろう。これらの劇中歌には、歌詞の内容がドラマの進行と非常にリンクしている部分があったり、そうでもない部分もあったりしていて、随所に貼られていた伏線と合わせて物語が進んでいくほどスルメ曲になっていくのだ。これは、原作や脚本にインスピレーションを受けて制作されたドラマやアニメの主題歌や、ミュージカルのあらすじの中でセリフがメロディと化して物語を進めていくミュージカル曲との最大の違いであろう。その歌には考察の余地があり、主人公の性格や心情を表すものでありつつ、曲としては独立している。そんな不思議な連関に、私は惚れているのだろう。

 そして作中を通してアキは、アイドルの楽しさや難しさ、アイドルの闇、そしてアイドルの本質までをも知ることとなる。「歌」や「アイドル」というピースには、主人公を成長させる作用があったということだ。それほどまでに、物語において一つの歌が主人公に与える影響というものは大きなものなのだろう、と思わされる。

 私は普段から、歌を主軸としているアーティストを熱心に応援している身である。彼ら彼女らが音楽から影響を受けて音楽活動を開始し、そして私たちがアーティストの音楽に感動し、ファンとして応援するようになる。このように音楽には、誰かの心を突き動かし、新しい人生へと動かす効力が備わっているのでは、と最近考えるようになってきたのだ。そのインパクトこそが、音楽が音楽たらしめ、そして人間の娯楽として受け継がれてきた証なのではないだろうか。


 「インパクト」という話で言うと、アニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」の劇中歌のインパクトは、あまりにも大きかった。物語の主人公である涼宮ハルヒが作中で歌を披露したシーンは、たったの一回。それ以外のシーンでは歌とは無縁の生活(まあOPでもEDでも歌を歌っていたのはハルヒだが)を送っていたハルヒが、作中のバンドシーンでいきなり出てきて、歌唱力とギタースキルで圧倒する様はさながら圧巻だ。

 ハルヒと長門有希が文化祭のステージにて、諸事情にて出られなくなったボーカルとギターの二人に代わって出演した、この舞台。演奏描写を細かくこだわっていることはもちろん、宇宙人(対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェース)である長門による超絶ギターソロ、そして顔面をくしゃくしゃにしてでも全力で歌い上げるハルヒの姿は、ご存知のとおりアニメ界に大きな衝撃をもたらした。そのインパクトはそれを見物していたキョンにも確実に伝わっていただろうし、何より見ている私たちに対して大きなインパクトを与えたのだ。

 音楽を取り扱うシーンには、物語を補完する意味がある。私はこの伝説的なシーンからそんなことを学びとった気がする。音楽には、歌には、その人の魂が宿る。そこからしか見えてこない、人の本性というものがある。そしてそれは、周囲の人間の心を動かし、ストーリーを大きく動かす起爆剤となるのだ。私はそんな起爆剤が持つ中毒性に病みつきになり、劇中歌がある作品が好きなのかもしれない。


 私が見てきた劇中歌を伴う作品はこれだけではない。例えばアニメ「けいおん!」では、軽音部での活動を通して少女たちが友情を深め、多様な経験を積んでいく姿に心を打たれた。ラストシーンで流れる、放課後ティータイムの4人による「天使にふれたよ!」のユニゾンは、涙なしには見られないものだ。

 映画「ONE PIECE FILM RED」では、歌が主人公の心情そのものを表し、それが悪魔の実の能力という形で社会に対して大きな影響を与えている。ウタウタの実の能力者ウタが繰り出す数々の攻撃は、彼女の歌そのものでもあり、彼女の願いそのものなのだ。彼女が歌で「新時代」を創造しようとするその姿は、私の目には逞しく、そして儚くも見えたような気がした。

 アニメ「ぼっち・ざ・ろっく!」も好きな作品である。この作品も「けいおん!」と同じく少女たちがバンドを組み、活動していく過程を描いたものである。「けいおん!」との大きな違いは、よりバンドの成長譚として物語を見せていることだろうか。人前でギターを弾くことは愚か喋ることすら碌にできない究極の陰キャぼっちな後藤ひとり(ぼっちちゃん)が、伊地知虹夏・山田リョウ・喜多郁代という3人のバンドメンバーと出会い、音を合わせることの楽しさ、そして仲間を信じることの尊さを覚えていくその姿に、ボッチちゃんの生態系に共感を覚えた私も励まされたような気分になった。


 普段からアーティストを応援している私だからこそ、ライブシーンや歌唱シーンなどに興奮し、その姿に推しの姿であったり、自分の姿を重ねたり、あるいは歌っている、演奏しているキャラクター自身を推したりすることが好きなんだろうな。「あまちゃん」の再放送を全話見て、そう感じたよ、というお話でした。これからも私は劇中歌がある作品を多く見ていくだろうし、よければ皆さんの好きな劇中歌作品も教えてください。コメント待ってます!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?