メディアの話その129 非東京人がつくった漫画都市としての東京郊外。

日本の漫画、といえば、トキワ荘である。

豊島区東長崎。目白通りを目白駅から4キロ走り、一方通行の出口をちょっと逆走したところにあったボロいアパートである。

いまは、記念館が、もともとのトキワ荘の近所にある。

世界を席巻し続ける、日本の漫画・アニメの世界の本流は、ここから生まれた。

ここでポイントは、トキワ荘にいた漫画家たちは、東京人じゃない、ってことである。だから、ぼろいアパートに集結していたのだ。

手塚治虫は大阪。石ノ森章太郎は宮城。藤子不二雄はふたりとも富山。赤塚不二夫満州。寺田ヒロオは新潟。水野英子は山口。

全員「非東京人」である。

そして。私たちは、1960年代、このトキワ荘出身の漫画家たちの漫画、そのアニメ化作品による「東京」を享受する。

その「東京」は、都心ではない。周辺だ。空き地に土管が積まれ、小さな雑木林が残る、都市と郊外の間にひろがる住宅地だ。

藤子不二雄と赤塚不二夫が描く住宅街は、トキワ荘のある東長崎の近所の当時の風景だ。練馬であり、下落合である。天才バカボンによく出てくる風景。下落合の目白の台地から神田川越しに降りる坂道と遠くに見えるビルや東京タワー。あれは、リアルな絵でもあった。

あるいはジャイアンがリサイタルする空き地。ニャロメとちび太が寝泊まりするドカンのころがった空き地。あれもまた、開発途中の郊外と都市のはざまの住宅街の風景だった。

その1世代前のサザエさんの長谷川町子も九州からやはり世田谷・桜新町という都市と郊外の間に広がる住宅街を拠点とし、その拠点の風景をそのまま漫画の舞台とした。

都市と郊外のはざまの「開発途中の住宅街」。

この風景は、高度成長期において東京だけのものではない。

日本全国でおなじような風景が広がっていた。

だから、静岡・清水で1964年生まれの私と同い年のさくらももこが自分の小学生時代の1970年代の清水の住宅街を舞台にしたちびまる子ちゃんの風景は、トキワ荘ともサザエさんとも重なる匂いを醸し出している。

1970年代から80年代にかけて、大阪育ちの山上たつひこや群馬出身のあだち充の描く漫画の舞台はやはり練馬である。

1990年代以降になると都市と郊外の間は16号線沿いにまでひろがり、それが春日部育ちの臼井義人のクレヨンしんちゃんの春日部や、兵庫出身のあずまきよひこ描く「よつばと」(狭山や所沢、入間近辺)になる。

結果、おそらく1940年代以降の戦後生まれの多くの日本人にとって、「空き地のある住宅街」が「なつかしいふるさと」のイメージ、になってはいないか?

小説家や音楽家は東京の中心に生まれ育った人が少なくない。だから、舞台も都心になったりする。でも。漫画に関して言えば、とりわけ少年少女向けの作品で都市を舞台にした作品は少数派だった気がする。あくまでリアルタイムの読者としての記憶をたどると。

秋本治の「こち亀」の亀有やちばてつやの「明日のジョー」の隅田川のドヤ街は、二人が東京の下町出身あるいは育ちだったから描けたリアリティだろう。でも、どちらもやはり都心じゃない。

東京の都市が主人公と重なる作品は、東京出身の岡崎京子や上條淳士の80年代漫画だったりするけれど、どちらも「音楽」が重なっている。そしてやはり少年少女漫画ではなく、主人公は青年世代だ。

日本の漫画の原風景が、都市と郊外の間の「住宅街」にある。当たり前の話なのかもしれないけれど、昨日流れてきた作家のSOWさんのツイートで、はたと想起しました。




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