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国道16号線の話 古代東海道は16号線だった。

古代の東海道の変遷を葛飾区のホームページが掲載している。

https://www.city.katsushika.lg.jp/history/history/p_image/2/古代東海道の駅路の変更と葛飾郡.jpg?fbclid=IwAR3L_K6qq0B_YFmx8QoX0pPvXpzD6NPV4fLdtpK-IDxUuIoo8LGUAnUkc4Y_aem_ATSPZW1XH8QA6cj6kK8HPLyMDWTl3JQqX5BcS0I3sEeJUd__NDVTqG7U32X2bkQpp61WE80Z_C1Gi2qqunaQVKab

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8世紀までの東海道は、現在の東京を通っていない。


平塚の箕輪から2つのルートに分かれる。

1つは内陸を抜けて、当時の東京の中心である府中の国府に向かう。

もう1つが16号線ルート。

相模国から葉山を抜けて、16号線の起点である横須賀・走水から16号線の反対側の起点である千葉・富津に船で渡り、現在の16号線の千葉側のルートである、君津、木更津、国府のある市原(島穴神社)へと抜ける。

このルートを使ったのが、日本武尊の東征で、走水と富津の海が荒れた時、同行していた弟橘姫が身投げして静めた逸話が、古事記と日本書紀に載っている。

スーパー歌舞伎のヤマトタケルのクライマックスでもある。

16号線が東京より古い、というのがよくわかる地図。

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