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メディア論 74 地元の人がいない街。ビルという山脈だけがある街。渋谷とハロウィーンと暴動と

渋谷のハロウィンの暴動。
透けて見えるのは
「地元のやつらがいない」ことなんだと、都築響一さんが見抜いた。
今時の若い者事情はよく知らないのだけど、
かつてのようにヤクザやチーマーが仕切っている渋谷だったら、
騒いでいる子たちはおそらく半殺し(半じゃないかも)
にあっていただろう。

ヤクザやヤンキーというのは、
ある意味で「地元のやつら」の煮詰めた要素だったりする。
その存在がいいかどうかはさておき。

西武百貨店が傾き、
東急線が地下に潜り、
文化会館がなくなり、
本屋もプラネタリウムも映画館もなし、
東急東横のれん街が消え、
パルコが休業した渋谷は、
代わりに巨大な「不動産」の山脈が並ぶようになった。
これから山の数はさらに増える。

同じような光景を
30年前、港区の下町で見た。
そう、森ビルが、下町を番号のついた山脈に変えたときだ。
結果、街はなくなり、不動産ビジネスだけが残った。

一等地の不動産ビジネスは、
実はリスクが少ない。
再現性のない「小売」部分は人に任せて、
取っ替え引っ替えすればいいからだ。

六本木ヒルズは儲かっているのに
テナントはさっぱり定着しない。
あれが、典型である。


ただし
不動産の山脈に囲まれた街は、
もはや街じゃなくなる。

「地元」がない場所になるからだ。
「地元」がないから、恥のかき捨ての場になる。
かっこいい場所ではなく、
かっこ悪いを吐き出す場所になる。

だから
不動産の山脈となった場所は、
何年経とうが
かっこよくならない。
当事者が、地元が、ないからだ。
新宿西口高層ビル群から新橋汐留から
アークヒルズから。。。。

ビルという山脈はお金を生み出す。
が、ビルという山脈が林立する場所は、街にはならない。そこに「かっこいい」も「素敵」も生まれない。そこを根城にする人、そこを守る人、そこを愛する人がいないからだ。

お金がいくらあっても、かっこいいが生まれない時がある。

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