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子供のころ、「自分は20歳まで生きていないだろう」と漠然と想っていた。

子供のころ、「自分は20歳まで生きていないだろう」と漠然と想っていた。
その想いが消えないまま、気づいたらぬるっと20歳を越えてしまっていたので、そこから先は「ロスタイム」のような気持ちで漫然と過ごしてきた。
20代前半は、毎日「今日が死ぬ最後の日だ」と考えながら生きていた。
べつに自殺を企図していたわけではない。ただ、1週間後、1ヶ月後、半年後にも自分が生き続けているということが想像できないのである。

最近、自分が29歳であることを久しぶりに意識した。
26~28歳の2年間ほど、私は「自分が何歳なのか」分からない曖昧な状態で暮らしていた。中年になれば、自分の年齢がとっさに出てこない人もいるだろうが、20代後半でその状態になっているのは客観的に見て少し早すぎる。

公的な書類に誕生日を書く機会が時々あるから、自分の生年月日はもちろん憶えている。しかし、それは「データ」として憶えているだけであって、自分にとって特別な一日というわけではない。20代の一人暮らしの日々のあいだ、私は誕生日に自分を祝うことをしなかった。そんな生活を3年、5年とつづけるうちに、自分の年齢が分からなくなっていた。

思い返せば、私は子供のころから「誕生日」というものが嫌いだった。
それは、年を取りたくない、大人になりたくないというピーターパン症候群とは異なっていた。
理由は大きく分けて、2つあった。

まず1つは、「誕生日が◯月✕日である」という情報は、すなわち「自分の両親がその日から10ヶ月ほど前にセックスをした日である」ということを表しているように思えてならず、その性的な感じが気持ち悪かった。「誕生日」という概念は、自分がこの世に生を享けるに至った「原光景」を見せつけられているような気がした。セックス記念日を祝う夫婦がいたら多くの人はきっと気持ち悪がることだろうが、なぜか、誕生日については世間の多くの人が平然と祝っているのだった。

私の両親はもう還暦を越えている。母親が30歳を越えてからの高齢出産だった。
子供のころ、その年の差をそこまで気にしていた記憶はないが、もしかすると心の底では少し恥ずかしく想っていたのかもしれない。

また、私が子供のころ母親はキレイだった。年齢こそ高めであるものの、他の同級生の保護者たちと比べても一際美しく、私は母親のことが好きだった。だからこそなお一層、自分が生まれてくる何ヶ月前に何があったのか、ということを考えると、生々しい厭な気持ちになるのだった。

子供時代に誕生日が好きでなかった2つめの理由は、私の家族は全員、人の誕生日を祝うことが下手だったからだ。何をプレゼントするのか、料理は誰が何を用意するのか。そうした決め事で揉めることが多く、いつしか私にとって「誕生日」は楽しくない日になっていった。
特に母親の誕生日で揉めることが多かった。母親の誕生日には、母親をねぎらうべきである。しかし、幼いわたしと姉はどのように母親をねぎらえばいいのか分からなかった。プレゼントを贈ろうにも、母親が何をほしいのか分からなかった。常日頃、「母親は何をもらったら喜ぶのか」など考えたことがないから、誕生日の直前だけ頭をヒネっても良い案が出るはずがないのだ。そういう意味では、私は母親のことがとても好きである一方で、それほど母親のことを愛していなかった。しかしまぁ、世の子供というのはそんなものかもしれないが。

私の誕生日のときは、それほど揉めはしなかった。
しかし、私は物欲の少ない子供だったので、家族は何をプレゼントしていいのか分からないらしかった。何度かプレゼントを貰っていると思うが、ハッキリ思い出せるのは姉がくれた「えんぴつキャップ」6個セットだけである。削った鉛筆の先に嵌めるプラスチック製のキャップ、おそらく200円ぐらいで買えるもの。べつに姉は私のことを嫌ってはいなかった。ただ何をあげたらいいのか分からなかったのだろう。

こうした理由が積み重なり、幼いころの私にとって「誕生日」は「どちらかといえば不愉快なイベント」だった。20代で一人暮らしを始めてからは、自分の誕生日を祝うことはなくなった。そうして私は自分の加齢を意識しないまま、29歳を迎えていた。

いまの私は、毎日「今日が死ぬ最後の日だ」と考えるほど悲観的ではない。
しかし、5年後、10年後に自分が生きているかというとよく分からない。
小学生のとき「自分が20歳まで生きること」をイメージできなかったように、いまの私も「10年後、40歳になっている自分」をイメージできない。

VUCAの時代。世の趨勢は激しく移り変わる。AIは日々進歩を遂げる。
会社の上司は「このまま怠惰に暮らしていたら、近い将来、働き口がなくなってしまうぞ」と私を叱咤激励してくる。それは、間違いなく正論である。私のように怠惰な人間は、近い将来(遠い将来ではなく!)仕事を失うことだろう。
――しかし、「それって、来年も生きていたい人の論理でしょう?」と私は想う。
仕事を失って、食べることが出来なくなればどうなるか。極端な話(単純な話?)死ぬのである。しかし、今日死ぬのか、2年後に死ぬのか、5年後に死ぬのか、ただそれだけの違いではないか。
仕事がなくなると困るから、努力して自分を磨いていく――。それは、来年も5年後も生き続けていたい人――生きることをイメージできる人――の論理だ。

#######(暗転)#######

私は最近、ヒゲの永久脱毛サロンに通っている。永久脱毛は高い。20万円はかかる。
それでも、これから先の人生、ずっとカミソリとシェービングクリームを買いつづける費用、また毎日剃らなければいけない手間暇を考えれば、十分元が取れると思ったので通っている。
これは「5年後も10年後も生きているつもりの人」の論理だ。自分があと1年も生きていないと思うなら、何十万も払ってヒゲを脱毛する意味などない。これから何十年も生きているだろうと思うからこそ、高いお金を払ってでも脱毛サロンに通っている。
最近の私はようやく、ようやく、「何十年後も生きている自分」をイメージして、自分の身体に投資をできるようになった。
お金がなかったのではない。そういう発想ができるようになるまで、生まれてから四半世紀かかったのだ。

話は飛ぶが、私は大学生ときまで歯並びがとても悪かった。見てくれが悪くて人目が気になる、といった生易しいレベルではない。1日に何度も、自分のベロが歯と歯のいびつな隙間に当たって、痛い思いをするのだ。集中力は頻繁に削がれる。調子の悪い日は、歯並びの悪さがひとたび気になりはじめると、30分も1時間もそればかり気になりつづけてしまうことがあった。今にして思えば馬鹿らしい時間の使い方だが、当時はコレが私の人生なのだと想っていた。
大学2年ごろから歯科矯正を行い、今ではスッカリ良い歯並びになった。歯科矯正は高い。親が費用を工面してくれたので正確には記憶していないのだが、20~30万はかかったように記憶している。ずいぶん掛かったがそのおかげで今では、歯並びが気になって日常的に集中力が削がれるナンテ惨めな想いはなくなっている。

歯並びはよくなり、ヒゲを剃る必要はなくなり、年々確実に QOL は向上している。10年前の自分と比べて、余計なことで集中力を削がれる頻度は確実に減っている。
このつかの間の「健康」を得るためには、何十万円のお金が必要だったのだ。親に工面してもらった数十万の歯科矯正費。自分で稼いだ20万ほどの脱毛費。それらの金額が、いまの私の身体に投資されている。私の身体にベットされている。そう考えると「そうそう簡単には自分の人生を降りられないな」という気分が湧いてくる。(まぁ元を正せば、両親はわたしが成人するまでのあいだ、食費・学費・その他もろもろ、合計何百万を私に投資してきてくれた訳ではあるが。)

わざわざ20万払ってヒゲを脱毛しておきながら、あと1年しか生きない、というのは意味が分からなすぎる。奇妙なことだが、そう考えたときに「5年後も10年後も生きつづけている自分」というものが、リアルな手触りをもって感じられてくるのだ。

#######(暗転)#######


最近の私はそうそう厭世的な気分100%で包まれているわけではなく、もう少し前向きに生きてみようか、という気持ちが生まれてきてもいる。

20歳ごろから始まってしまった「ロスタイム」の感覚を捨てるまでに、9年もかかってしまった。今のわたしの人生は「ロスタイム」ではない。まさにメインゲームの真っ最中なのだ。
多分ぼくは5年後も生きているし、10年後も生きていることだろう。「子供のころ、20歳の自分を想像できなかったが結局20歳になった」のと同じように、いまの私は40歳の自分を想像できないけれど、きっといつしか40歳になっていることだろう。今から10年の間に死んでいるとはどうも思えない。
どうせ長く生きるなら、ただ漫然と生きるのではなく、もう少し将来の自分のことも考えながら生きたほうがいいなと思う。最近はそういう前向きな気持ちも生まれている。


昔の想い出話とか、色々でした。

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