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歩くということ

 何気なく普通に歩くということは、別に特別なことではないと思われているが、「歩く」ということは「走る」ということと全く違う行為である。
 「◯◯を歩く」という場合、歩くと同時に周りを観察することを意味することがある。つまり、歩く行為はある目的のための付随的なことと言える。
いや別にそんなことはなく、走るまでもないから歩いているだけだという意見もあるだろう。しかし、走る場合は必ず目的がある。約束の時刻に遅れるとか、信号を早く渡るとか。
 特にマラソンランナーや短距離走者は、走ることが目的化しているが、歩くという行為は、歩くことが目的化されてはいない。
 何気なく歩くということは、風景を見て、風を感じ、道端の草花を観察することができる。観光地に行ってみれば、走り回るということはなく、初めての風景を歩きながら散策するだろう。
 二本足で歩くということは、人類が二足歩行を獲得して以来非常に重要なことと思われる。
 常に二足歩行しているのは、ヒト以外にいない。それも重い「頭」が一番上に載っているのだ。「頭」は司令塔である。「頭」によって周りに注意を払い行動する。赤ん坊は最初は四足歩きしかできないが、伝え歩きを覚え、そして、よちよちと二本足であるき始める。そうすると周り情報を急速に獲得し始める。
 仮に車椅子でしか行動できないとしても、それは「歩く」と近似値的な行為となる。車椅子マラソンとかは別であるが。
 何気なく歩くという行為は、あまりにも普通なことであるので、意識されることは少ないが、病気や高齢化で歩けなくなるということは、大きな損失である。
 普通に歩けるということに感謝したい。
 
 

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