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何もしない事こそが失敗に繋がる。成長なき子にならない躾を。

我がジムでは小学生に、道徳教育という形で、写真にあるように
授業を行う。

昨日は高校生にも本を読め、と教えた。
高校生位になるとハイ、と返事はいいが、目をみれば、嗚呼この子は読むな、この子は聞いたふりだなと、一目瞭然で分かる。

小学生は一生のうちで一番、親から自分がどう映ってるか。
これを気にする世代である。

私が教えるのは儒教、東洋哲学から学んだ普遍の原理原則を教え、これに沿う行動を伝える。

その後、これを聞いてどう思ったか?を紙に手書きで書かせ、私が読み、各自に肯定した感想を書いて返す。

その為には私自身が、絶対に間違えた事を教えてはならんので、毎晩読書をし、歴史や哲学を学ぶ。

「戦争になると、人を殺してしまう。でも原子爆弾は戦争中でも落としてはいけないというルールがある」。

そういうと「沢山の人を殺しちゃいけないから」などと言う答えが一昨日返ってきた。

大量殺戮はいけない。
こんな事は普遍の原理原則であるが、難しい事を言わずとも、子供は実は感覚でこう言うことが分かっている。

マスコミは下らない事しか放送しないから、ジムで子供に考えさえる。

今後この子達に教えたいのは、失敗について。

かの田中角栄は「何かをするから成功も失敗もする」と述べた。
けだし名言である。

では失敗しない人は何もしない人か、となる。

私がまだ20歳前後だと記憶するが、私が練習していたボクシングジムに、ある高校生がいた。

彼がトレーナーの人に「お前もプロ志望ならスパーリングをしないとな」。
そう言われ、高校生はこう言った。


「こう言う事はもっと準備をしてですね。まあそれからでしょう」。

やろうとしない。
高校生でこうだと言う事は、小学生の頃に原因がある

それから彼は、誰からも相手にされずその後、ジムを転々としプロでも大成せず、過去の自慢や嘘ばかりを吹聴する大人になった。

給与を払い人を雇うと分かるが、何もしない人は卑怯者である。

こういう、言われた事をせず理屈を捏ねる人は、絶対に師を持たない。

だから恥を知らず育ち、たまたまうまく行った事を自分の力だと思い、非を認めず、やってはいけない「何か」しかしない。

次に、子供の頃に否定ばかりをされて育った子は、否定ばかりする大人になり、咄嗟に嘘をつく。

失敗すると上司から怒られるので、受動的になり何もしない。

何もせず会社にいると、上司から叱られるので、何もしない事への言い訳、嘘ばかりをつくようになる。

そして会社に居られず、職を転々とするが上手く行かない。

経営者なら必ず倒産するか、嘘をつき同情を買い、人からお金を騙す、という必然のコースを辿る。

本人は気付かない。

子供の頃は、何かをさせるのが親であり、教育者であるが、それが親の意の通りにならなくても、否定はいけない。

肯定した上で、こう言うやり方もあるんじゃないか、と導く。

駄目なものは駄目だ、悪い事は悪い!
そこは子供の頃にはっきりさせ、子供のやりたい事を見守り、本人に考えさせ継続させる。

子供はそれでも分からなければ、親や師に聞いてくる。
そこで助け舟を出すのが、大人である。

私の場合、ボクシングジム経営なので、その教育がボクシングであり、趣味が読書なので、今更ながら本を読み教育に役立てている。

明日は北九州市と、北九州市教育委員会の共催で、キッズボクシング大会を行う。

儲けにもならない事を、子供達に誰かがやらねばならない。
誰かがやらねばならんので、自分でやる。

これを同業である、北九州の折尾ボクシングジムの会長が共感して、この大会の実務を取り仕切ってくれる。

宇部市の宇部ボクシングジムの会長が、パンフレットを寝ずに作成してくれる。

こういう人が、周りに多くいるので、本大会が行える。
本当に私の我儘に、愚痴ひとつ言わず協力してくれ、頭がさがる。

折尾ボクシングジム

子供はまず勝ち負けより、こう言う大会を通じ、継続・挑戦を覚え、将来利他的で優しい大人になってほしい。

更にこういう大会は、私自身が自戒を込め、自分を律する事にもなる。

何もしない人は失敗するだけでは無い。
他人に迷惑をかける。強くて優しい大人にならない。

そうならぬ様、子供のうちから何かを楽しく、そして悩み苦しむ事も覚えれば、将来立派で志のある若者になると思う。

まずは北九州が、そのモデルケースになる事を祈願し、明日の大会を迎えようと思う。



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