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幸せの価値観

写真にあるのは現役の17歳プロボクサーと、中学生からプロで5戦するまで指導していた教え子で、今は2人のパパになる魁人。赤い服を着てるの方である。

よく「柳原さんの一番楽しみって何ですか?」と聞かれる。
毎日仕事とボクシングと読書。以前の楽しみは甘い物をバカ喰いする時が至福の時であったがそれも今はなく、考えるとジムで子供と戯れながら教育をするとき。これしかない。

これを人がどう思うかは自由だが、私は昔子供が大嫌いだった。
それが今ではジムの子達がいないと生きていけぬ、と言うほどになるのだから、人は変わると言うことだと思う。

さて、魁人とは色んな思い出がある。ある年うちの中学生を3人、特待でボクシングの名門に取られた翌年、魁人が入れ替わりで入ってきた。

仁義も何もない名門校に特待で入れた後、挨拶一つないこの監督の将来が見えた上、3人中の一人の親は勘違いしてこの親も挨拶すらこなかった。

その子は私の手から離れ、ボクシングを辞めた事を聞いた私は、魁人のお父さんが友達ということもあり、まず県立高校に入れた。

これは断じて言うが私情ではない。自分のような教育ができる教師がいない、と言う自負があったからこそ、岩の一念で、出来る事をひたすら考えた。そして電光石火のように動いた。

福岡県及び福岡県教育委員会と交渉し、魁人の入った高校にボクシング部を作ってもらう、というコペルニクス的発想で動いた。

すると魁人1人のボクシング部を作って頂き、インターハイに出場した。引率の先生も付きYANAGIHARAジムもアマ連登録をした。

一年目。「お前の力ならプロのジムは、アマでは勝ちも負けにされるとはいえ、九州チャンピオン位には獲らんとな」と、プレッシャーから解放させた。本人は全国大会のプレッシャーがあった。

関係者から聞くと「プロのジムが、いくら高校から出場させるとはいえ、2回戦までしかいけないのが今の福岡です」と言われたのだが、当時は明白に勝てばいけると思った私が甘かった。

YANAGIHARAジム最高顧問の島田さんが「柳原さんはアマ初めてですから注意事項を。絶対に何があってもキレてはいけませんよ」
結果キレる、と言う結末になる。

迎えた福岡県予選の一回戦。アンタッチャブルのようにパンチをかわす魁人は勝利し、2回戦に。翌2回戦もワンサイドで勝利。

福岡県の代表は、当時九州で一番レベルが高いとされ、これはいけると迎えた3回戦の準決勝。

魁人のボクシングはレベルが違い、3ラウンドで3発程パンチを貰うが、確実に30発はクリーンヒットを決めた。

悠然とコーナーで判定を待つ魁人、高校一年。相手は今年最後の本命高校在学の三年生。

相手も、リング下を固める相手高校の選手達も、項垂れている。誰が見ても結果は3-0で魁人の判定勝ちだと分かる。

結果はフルマークで魁人の負け。

相手選手が可哀想だった。負けを勝ちにされ、喜べるはずは無く下を向いて勝ちをアピールされた時、この子は素直な子だな、と感じた。

それより、これはイカン!キレたらダメだと言われてる。

我慢していた尿意もあり、咄嗟にトイレにエスケープし、怒りを治めに行ったが、実はこれが裏目となる。何と小便をしていたアマ連の理事と目があった。

当時怒りをコントロールできなかった私は、この人が「惜しかったですねえ」と言うので「おい。あれがうちの負けか」。

やってしまった。即座に選手控室にエスケープすると、控え室で一人タオルを頭から被り、肩を揺らし泣いてる子がいる。

魁人だった。私は「泣くな!お前の勝ちや、胸張っとけ」と言うが貰い泣きしそうで、これはイカン、と再度試合会場に戻る。

会場入り口にスコアシートが貼ってあるのが見えた。見るとダブルスコアでの魁人の負けと表記されている。これがまた導火線に火をつける。「惜しかったですねえ」とつい今言われたアレは・・・。

いやいや、それくらいで怒らんぞ、と思い会場に入ると、悪い事は続くもので、輩みたいな人と思い切り肩がぶつかり、ジロリと一瞥された、ここで私は終わる(笑)。

リングサイドを陣取り、YANAGIHARAジム揃いのTシャツを着て応援に来ていたプロ選手5、6名に「お前らいつまで座っとんか!こんな空気の悪い所おれるか!帰るぞこのクソみたいな所」。

何故こうなるのだろう。今思えば汗顔の至りであるが、怒鳴ったすぐ隣が試合リングであったことが私の沸点のとどめとなる。

相手高校のOBだらけのジャッジと、試合中のレフェリーに「お前ら相手のことも考えや!あんなので勝ちにされた子も下向いて、犠牲者やないか!どこ見てジャッジしとったんじゃ!教育に悪い」と怒鳴り上げた。

試合は数秒止まりかけたが構わず、全体を睨めプロを引き連れ海人とプロみんなで小倉に帰った。

魁人のアマチュアボクシング人生は、ここで終わった。

ボクシングも辞めると言い出したので話し合い、魁人の気持ちを汲み、辞めさせた。

しかし「辞めても俺とお前の関係は一緒」と言い、別れたが、もう一度やりたいと一年後プロの世界に戻ってきた。

思えばこの頃が第二の、YANAGIHARAジムの運勢の悪い時でもあった。ただ私は魁人だけが選手ではないので、当時小学生の悠太郎も含め、態度に出さず何事も無いように日々を過ごした。

そうこうしてると入会者の年齢基準が、どんどん下になり、幼稚園児も入会を認めるようになった。そして現在に至る。

引退後も魁人は真っ直ぐ育ち小学生の時と同じ、真っ白な男として社会人とパパ、そして相変わらず利他的で人の良い男である。

こうして書いているとアスペルガーの私は、全てこう言う事を覚えてるので書きやすい。

辛いことは忘れるのが人間である。私は一度も辛いと思わなかった。だから覚えて継続できたと思う。

何が起きても、それは自分の起こしたものが返ってくるので、結果は自分にあると思えば辛くない。

こうして書いていると、まだまだ選手一人一人に歴史があるんだなと思う。ただ全て私にとっては勉強でいい思い出でしか無い。

だからこうして23歳の魁人が、いきなりジムに来て後輩にスパーをつけ終わるとアドバイスをするのだと思う。

さて、今日は写真にあるYANAGIHARAジム最年少のシンに、掃除を教える約束をしている。掃除と挨拶は人の基本である。
ちなみに怒鳴ることは絶対良くない。

こうして今日も至福の時間を迎えられる。

では、行ってきます。シン、今日は掃除だ掃除だ!


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