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浅い事を深く考え生きてたら、思えば遠くへ来たもんだ。

『ボクシングは教育が9割: 混ぜるなキケン‼ ボクシングは教育 総合格闘技はエンタメ』(YANAGIHARAボクシングジム会長 柳原 廣一, 出版協力:甲斐柱 統, 統一館出版 著)
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突然だが、私は長男で産まれ、父親にかなり可愛がられたらしい。

生後2年半が経ち、つまり私が2歳半という歳に弟が産まれた。

私は北九州市門司区で産まれたが、国鉄労働組合下関工事局のトップである父が多忙の為、母は、愛知県小牧市で弟を産んだそうだ。

父方の私の祖父は、直方市という筑豊地域の炭坑夫で、母方の祖父は市会議員であった。

私が2歳半の時。
母方の祖父が、参議院議員選挙の全国区に出馬し、祖父の家がその頃愛知県小牧市であった為、多忙の父を除き、小牧市に母方の祖父母と一時住んで、弟を産んだという事らしい。

余談だがこの時、祖父は東京で物凄い票を獲得し、当確が出た。

しかし、肝心の居住地である小牧市で票が伸びず、僅かの僅差で落ちたと言う。

「過去にTVが当確を出して落ちた議員候補がいる。ここだけの話、民放はNHKが当確を出したの確認して、その後当確を出すんです」と読売テレビの辛坊氏が言う候補者は、我が祖父である。

こうして、馬に例えるならば、私はサラブレッドと駄馬に産まれた、ある意味ハーフとも言える。

その後、母は父と離婚寸前まで行くのだが、私は母の愛情を全く受けず「長男は本を読め。テレビは私と秀ちゃん(弟)で見るもの」。

そう教えられ、殆ど母の愛情を受けず、買い物で手を繋ぐ事も許されなかった。

小学一、二年の頃、母子3人で買い物に行った時の事。
いつも弟は、母と手を繋いで歩くので、勇気を振り絞って母の手を握ると、その手を撥ねられた。

「何で?」と聞くと「長男はそう言う事はしない。強くないと」。
そう言われ、私は成る程、長男は何でも1人で考え解決する物だ。

子供は素直なので、当時の私はそう受け止めた。

父は、何故か具志堅用高さんの世界タイトルマッチの日だけ家にいるが、何か聞いても兎に角、無口で益々私は「長男は人に頼れないのか。じゃあ自分で考えよう」。

今の私の人格形成は、明らかにこの頃に形成されたといえる。

但し誤解のない様言うが、父母の私に対する愛情は今もある。

この頃は父親の女性問題で、母は色々大変だったと思う。
しかし私には別に迷惑はかかってもなく、石原裕次郎似の、若い頃は男前だった親父は、私に取り自慢の父であった。

かの様にして、私はいつも1人になると夢や希望、思想や哲学的な空想に耽り、何かがあれば浅い事を深く考え、答えを出す、という人格が小学生で形成された。

この空想や思想が、子供の頃から本当に楽しかった。

結果、子供の頃の思考は以下の様になった。
・この世に不可能はない。
・何でも1人で考え、しつこく実行すれば、いつか解決する。
・解決する迄は「我慢」するしかない。

私は子供の頃から我慢強く、出来ないとか無理、と言えない子供であった。
理由は多分に、上記の環境で育ったからだと思う。

言っておくが、この教育は絶対に良くない。

偶々私がプラス思考なので、子供の頃から悩むという事が殆どなかった、という結果論に過ぎない。

その分、普通の人が悩む所が怒りに変わり、少年の頃は暴力という手法になった。
故に私は、当時は町のクズだった・・・。

さて、そんなクズが金融業で儲け、ボクシングのトレーナーから会長になる。

更に、今では市と共に教育や障がい者児童の教育をし、
市の人口増加や、都市再生なんかを考える人間になった。

何故か?
今もそうだが私の頭は、常に何故?という物が頭をよぎると、物事を徹底的に考える。
起きている時は、考えていない時間が無くなるが、浅い事でも深く考えると、良い閃きが出てくる。

出てくると、絵に描いた餅ではなく、即行動に移す。
昔は大人から鼻で笑われてたが、今や私はやると口に出した事は、絶対に達成する事で、それなりの「信」が付いた。

そして、北九州を変えるんだ!と言うと、様々な人が共に行動してくれている。

例えるなら、まるで野球のオールスターの様な実業家、そのジャンルの頂点の人達である。

30歳で育ての親が亡くなった私は、いつか東京に出て、貸しビル業をすると、東京で成功した友達と20代の時、約束していた。

しかし育ての親の弟さんから「死んだ兄貴の残務整理をして欲しい」と言われ、その渦中にボクシングのトレーナーとなる。

30代の時、浅田次郎氏の処女作の本を読み「この作者は絶対、何某らの賞を獲るぞ」と周りに言うと、「ポッポや」という小説で直木賞を獲った。

私は普通の人より本を読んできたので、母から「小説でも書いたら。もっとアンタに本を買ってあげればよかった」と、78歳になる今でも言う。

充分すぎる程、本は買ってもらったが、本をいつか出したいな。
ずっとそう思い続けていた。

それが昨年から出そうか、になり、そして、出す!となった。

今回、出版に至るまでの経緯はこうである。

http://yakuza893.blog.jp/wakanokogen1.html
まず最初に依頼した方は「俠拳」の著者で、時に私を可愛がって下さる、大阪の若野康玄会長。
空手家である。

ボクシングの関係で知り合えたのだが「俺の若い時に似てる」。
そう仰り、目をかけて下さる。

若野会長と私 大阪で。

この方に依頼し、何度か打ち合わせをするも、若野会長と私とでは出版社から本の内容、人間の格、全てが違う。

次に依頼したのは、内閣府のある大臣の第一秘書。
私の目上の友人である。
この方に、今回の校正の半分を、作業して頂いた。

しかし、テロリストが総理を撃ったり、ロシアが戦争を始めたり、アメリカの仮想通貨の会社が倒産したり。

この方はその都度、関係各省庁に行き、レクチャーをする。
頭の良い方は当然引っ張りだこなので仕方はないが、上記の事件は私にとって、とんでもないとばっちりとなる。

延期、延期、また延期となる。

もう出版とは縁がないのかと思いつつ、執念い私は、noteで偶然目に入った甲斐柱さんに依頼し、昨日、出版と相成った。

初日で「6冠王のAmazonベストセラー作家」
という肩書きになった。
https://note.com/s_kaibashira/n/nfe862c9db897

思えば、炭坑夫の息子と市議の娘から産まれ、グレて少年時代、狭い所に数週間閉じ込めたれたりしていたダニは、ここまで遠くへ来てしまった。

さて、これからが大切である、と思う。
好事魔多し、という様に、いい事が続く時は必ず落とし穴がある。

そう思ってると、本日北九州のある弁護士と話していて、事件内容の件でつい、イライラするという久しぶりの事態が起きた。

さて、と。
東洋思想の本を読み、不完全な自分を見つめ直し、深く考え深く寝るとしよう。

お父さん、お母さん、産んでくれて有り難うね。

令和4年 12月10日 午前4時18分


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