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恋人の選び方

伏見の南、宇治の西。そこで先ほど、僕は独りになった。
このままだと、今日中に東京に戻れないかもしれない。フィールドワークで予定が遅れていた僕は、だから、近鉄京都線の大久保駅で車を降りて、京都まで電車で移動することにしたのだ。

京奈を結ぶ24号線から少し外れた大久保というところは、サバーブの起点のひとつで、宇宙に浮かぶ観察衛星からは、無個性な小さな光の粒に見えるかもしれない。けれども、そこには確かに営みがあり、暖かさがあった。この国はサバーブの集合でできている。この既視感は、かつて、違うけれども似たような街に、僕もいたからだろうね。

何かを作っているときは、僕はたくさんの本を読むようになる。なおさらに。
在来線の、特に鈍行に乗るなら、本なんか読むよりも、その街に住む人々を観察したり、その車両に馴染む努力をしたほうが楽しい。けれども、僕は空いている座席にさっさと腰を下ろして、空いている時間を今日は、本を読むことにした。

インプットとアウトプットはいつも、天秤の両端で釣り合っている。自分のためにも誰かのためにも、質のいいアウトプットがしたいので、僕は、関係のある本も、ない本も大量に読むようになっていたのだ。1日に多いときは3冊くらい読む。とても楽しくて、だから鞄はいつも重い。

一生を捧げる小説のために、今年の僕は「女性性」についてばかり考えていた。そして最近は、千葉に作った女性のための本屋「書房らいてう」の本棚についても考えていて、年齢ごとに女性の人生は変わっていくなと、そしてそれは、男性よりも顕著かもなと思い、その考えをまとめるために、今日も数冊の本を携帯していた。

『ホロホロチョウのよる』ミロコマチコ著(四月と十月文庫刊)
『私のインタヴュー』高峰秀子著(河出文庫刊)
『すーちゃんの恋』益田ミリ著(幻冬舎文庫刊)
『向田邦子の恋文』向田和子著(新潮文庫刊)
『子の無い人生』酒井順子著(角川書店刊)
最初から目的を持って本を読むのは無粋な気がして、かもめブックス的ではないけれども、本棚に挿して、その背表紙の並びにチカラがあればそれが一番いい。再読したものも含めて、僕の勘は冴えていた。いいぞいいぞ。

車中の僕は本を読む。
しかし、すーちゃんが作中でときめいたあたりで、僕の正面に座った男の子が大きく手を動かしたみたいだ。アテンション。ここで僕の集中力は浅瀬のレベルに戻されてしまった。

本から目を上げる。
よくわからないままに、最初は、学生服の恋人たちが戯れあっているのかと思った。しかし、どうも一方通行だ。男の子が硬く、どちらかと言えば無表情で、女の子の頭を押し戻している。女の子はニコニコしている。
あまり見るのも野暮だけれど、どうやら女の子は、男の子の肩に頭をのせて寝たい(ふりをして甘えたい)みたいだ。
男の子は照れている。照れ隠しに彼は自分の奥歯を噛んでいた。
そんな、真っ黒な髪の毛をしたふたりが、とても、ほほえましかった。

おりしも、本の中では37歳のすーちゃんが、積極的になれない自分に悶々としている。対して僕の目の前では17歳(だと思う)の女の子が攻め方を変えて、男の子の手を握ろうとしている。積極的だなあ、君は!

彼は自分の友だちに、自分がデレデレしてるところを見られたくないんだろうな、きっと。そして、彼女はいっそ、自分の友だちに見られたいのかもしれない。

もちろん、彼らに声をかけることはないけれども、それでも、男の子には、「おい、かわいい子じゃないか。本当は嬉しいだろ? 肩の一つも抱いてやれよ!」と思った。もちろん、それができないことが、それをしないことが、彼の良さだとも僕は知っている。単なる野次だ。
そして、女の子には、「いい男の子を選んだね」って思った。

何をしたいかよりも、何をしたくないかに、男の意地が出るもんだ。
恋人を選ぶなら、その両方を知っておいたほうがいい。まあ、恋に落ちた時には、そんな余裕ないと思うけど。

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