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春を追いかけて、春はこぼれ落ちる


世はうつくしい春だ。

それで、有元利夫さんの作品をみている。


美しいとはこういうことだろうと思う。


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有元利夫「春」 (1979)(一部)。


春はこんじき。

見えないハンドルを回しているようだ。

美しい女の人は、不器用そうでもある。

そうやって静かにいつまでも、かき混ぜていれば、花びらは降ってくる。

有元さんはもう亡くなってしまったけれど、ここでは、春は永遠だ。


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こちらも、有元利夫「春」(1979)。

たなびく髪から、風が吹いていたのかと分かる。

両手を差し出せば、薔薇が降ってくる場所のようだ。

ボッティチェリの絵に出てくる薔薇の花と同じ。


そうだ、春はうつくしさがこぼれ落ちる季節だ。

あまりに美しいので、私たちはずっと見上げて過ごす。

どんなに抱きしめようとしても、春のうつくしさは掴めない。

手に残るのは、春のほんの少しだけのうつくしさ。



ここ2週間ほど、わたしは、風をどう描くかぐずぐず悩んでいた。

悩んでいるうちに、世は春になった。

外へ出れば、分かる。

風で、春が来たと分かる。

風の柔らかさ、そよぎ具合で、はっきり分かる。

街角ですれ違えば、私たちはどの風なのかを知っている。

見たことは一度もないけれど、風の一族はわたしたちの古い知り合いだ。


悩んだ挙句、気まぐれで、えいや、と、顎のあたりに、線を一本強くしてみた。

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すると、絵が動き出した気がした。

いい悪いは置いておく。もしかしたら悪い。

これじゃない、と言われてる気がする。

線を加えるたびに、これじゃない、これじゃない。

一本線を加えては雁皮紙に摺ってみる。違う違う。

もしかしたら正解から遠ざかっているかもしれない。

ああ、だけど、それでもいいんだわ。


わたしは風の動く様を知りたいんだ。

風のうつくしさの成り立ちを知りたい。

だから、失敗など、どうでもいいことなのだ。

風の美しさを、一度に知ろうなんて欲張りだった。

何度も追いかければいいんだった。

追いかけてもこぼれ落ちるのだから。

有元利夫さんだって、春という作品で何度も確かめていたじゃないか。

その春は完全な美しさに見えたけれど。


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有元利夫さんの作品はこちらの本よりキャプチャーしました。

永遠の美しさがあるので、図書館で借りてみてほしいです。