見出し画像

冴えない会社員だった俺が京都で町興しの映画祭を頑張ったら1本のアニメが出来上がってしまったお話 その3

(前回 https://note.com/yangyang_film987/n/n33f4dc503d75)

音楽フェスと連携して映画祭復活

2018年、京まちなか映画祭はこれまでとまったく違う形で開催されました。井上さんが亡くなったことにより新京極の基盤を失った我々は、「BULL FES」という音楽フェスティバルと提携します。BULL FESの主催者は木屋町通にあるライブハウス・オーナー、青木さん。初日に映画を、2日目にライブサーキットをして街中を盛り上げようという企画でした。資金力も拡散力も振り出しに戻った我々にとって、青木さんから「一緒にやらないか」と声をかけてもらったのは非常にありがたい流れでした。

ただ、以前のように映画館でたくさんの作品を上映するだけの予算はありません。自然と上映作品は低予算の独立系に絞られます。それらを、ライブハウスや飲食店などで上映するのです。上映環境は決して良くないので、関連アーティストに演奏してもらったり、監督やキャストのトークを長く確保したりして、環境のデメリットをカバーするしかありません。私はダーツバーでの上映を担当し、松野泉監督『さよならも出来ない』、浅川周監督の短編集、小野さやか監督『恋とボルバキア』というプログラムを組みました。松野・浅川監督は京都在住だったため、上映の1カ月ほど前から週末になると、キャストやスタッフと一緒に河原町周辺を練り歩いてビラ撒きをするようになりました。かつて、映画会社で宣伝活動のお手伝いをしていた頃を思い出してしまいました。

映画祭当日の動員も決して悪くなく、まちなか映画祭の第二章としてはささやかながらも及第点といえたでしょう。ただ、映画祭スタッフの不満がなかったわけではありません。まず、あくまでも音楽フェス側ありきのイベントだったため、映画祭のプログラムは自然と関連ミュージシャンの出演作などで埋まっていきました。リアルタイムで盛り上がっている映画界の動きを象徴できたとは言い難かったのです。また、ライブハウスやバーで映画を見るという雰囲気そのものは悪くなかったものの、せっかく協力していただいた監督のみなさんには、最高の上映環境を提供したかったのが本音です。映画祭当日、松野監督や浅川監督自らダーツバーの窓に遮光のガムテープを貼っているのを見て、申し訳ない気持ちになりました。もちろん、場所を提供していただいた店舗さんには感謝しかないのですが…。

宇治茶監督との再会

こうした反省点を受けて、2019年の映画祭は11月開催を目標に、2月から会議を重ねて作品を絞り込むようにしました。予算の少なさは相変わらずでしたが、インディペンデント作品で関西を代表し、なおかつ多くのお客さんに喜んでもらえる映画をかけようと奔走しました。そして、先輩方にトラブルが重なったこともあり、私が本格的に映画祭全体のプログラム編成を始めることになったのです。

ここで、劇場勤務時代の文脈が役立ちます。映画祭スタッフでもあった安田淳一監督の『ごはん』、仲良くさせていただいている浅川周監督『blue bird』に加え、宇治茶監督の劇メーション『バイオレンス・ボイジャー』などの企画が次々と決まっていきました。宇治茶監督や安田監督からの紹介で2019年、関西ミニシアターで一大ブームを巻き起こした『みぽりん』の上映も決まります。そのほか、京都文化博物館のフィルムシアターとの合同企画として、溝口健二や勝新太郎の名作、小林達夫監督の『合葬』などを大きなスクリーンでかけられたことも感慨深かったです。

宇治茶監督との出会いは2013年にさかのぼります。私が『太秦ヤコペッティ』という、京都で制作された映画の宣伝に携わっていたとき、宇治茶監督が参加していたフリーペーパーに特集を依頼したことがきっかけでお会いしました。その後、勝手に宇治茶監督へ親しみを感じていた私は、強引に誘ってライブハウスでの大喜利イベントを企画したりしました。今から思うと、それほど親しくもなかった相手によく付き合ってくれたものだと思います。当時、宇治茶監督は商業デビュー作となる『燃える仏像人間』が公開待機していたので、「宣伝になるならいいか」くらいの気持ちだったのではないでしょうか。

その後、映画館に勤め始めてから『燃える仏像人間』を上映し、宇治茶監督との接点は増えていきました。「見世物小屋特集」や『少女椿』仕掛け付き上映ではボランティアスタッフとして遊びに来てもらうなど、無理な頼みもたくさん聞き入れてくれました。それにもかかわらず、私が映画館を辞めてから、宇治茶監督が制作で忙しくなったこともあり、交流は途絶えてしまいます。しかし、2018年秋、『バイオレンス・ボイジャー』が京都国際映画祭で祇園花月にて先行上映され、見に行ったことをきっかけに再び連絡を取り合うようになったのでした。それにしても、国際映画祭のクロージングパーティーでスーツ姿の大人たちがたむろする中、ジーンズでバイキングをパクついていたところを宇治茶監督に見つかったのはなかなか恥ずかしかったです。

不安を抱きながら飯塚貴士監督に電話

2019年のまちなか映画祭で『バイオレンス・ボイジャー』を上映する問題は、一通り関西での上映が段落してしまっていることでした。リピーターさんにも楽しんでもらえる企画にするにはどうすればよいのか。宇治茶監督と相談していたところ、「気心の知れたクリエイターさんたちとコラボレーションしてみたい」という話になりました。そこで、真っ先に挙がった名前が飯塚貴士監督です。宇治茶監督は劇メーション、飯塚貴士監督は人形劇。お互い、「作り物に命を吹き込む」ジャンルでの第一人者です。宇治茶監督は飯塚監督と親しくお付き合いをされていたらしく、「飯塚さんとなら面白いことができそう」と提案してくれました。

私も映画館時代、飯塚監督の作品を上映したことがあり、ご挨拶した関係ではありました。そのとき、関東から自主的に来てくださった飯塚監督が「このあたりにホテルはありますか?」と尋ねてきたところ、「どうでしょう。ビデオ試写室ならたくさんありますが」と最低なギャグで返しました…。今でも、あの謎すぎる失言は後悔しています…。だから飯塚監督は私に悪印象を抱いているのではないかと不安でした。しかし、6年ぶりに電話で話した飯塚監督は非常に物腰柔らかで、優しい方でした。私もビデオ試写室の件を蒸し返さず、とても建設的にミーティングは進んでいったのです。

短編アニメをお寺で作ることに

飯塚監督も宇治茶監督とのコラボレーションを二つ返事で引き受けてくれました。そして、お二人の作品上映に、何らかのイベントを付けくわえてひとつのプログラムにする方向性が定まっていきます。トークショーにするべきか、お客さんとの交流にするべきか。頭を悩ませる中、飯塚監督から「お客さんと一緒にものづくりをするワークショップをやったことがあります。宇治茶さんともぜひやってみたい」とアイデアを出してもらったのでした。

おおまかには、宇治茶監督には劇メーション用に紙人形作りを指導してもらいます。そして、飯塚監督は粘土で人形作りを教えてもらいます。そうやって生まれた人形たちを動かし、お客さん自身でアフレコしていく。お二人が編集している間に映画を上映する。1日で短編アニメを完成させて、最後はお客さんもスタッフも全員で鑑賞するという流れが決まりました。脚本は2人の共同執筆で、お客さんと一緒に細部を詰めていくことになります。会場になったのは新京極商店街の真ん中にある誓願寺の講堂でした。芸事に関するお寺で、これまでもコンサートやワークショップの会場になってきた場所です。しかし、さすがにアニメを作った人まではいなかったのではないでしょうか。

映画祭が始まると、飯塚さんはワークショップ前日に京都まで来てくれて、宇治茶監督と一緒に準備を手伝ってくれました。会場の設営が終わったのは夜9時ごろ。それから、「ちょっと2人で打ち合わせをしてきます」と街に消えていきました。後で聞いたところによると脚本を見直していたらしいのですが、話が盛り上がりすぎて深夜遅くまで打ち合わせが及んだそうです。そんなこんなで2019年12月1日。運命の日が訪れました。

(続く)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?