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伊勢・氣比・石清水八幡と同列「香椎宮」記紀の名シーン!仲哀天皇「鶏石神社」は日本唯一の鶏神社「延命水」で300歳まで生きられる!?

本朝四所!勅使社16社の1つ!唯一無二「香椎造」という独自社殿!200年に熊襲征伐の途中で仲哀天皇が急逝したため、神功皇后がその地に祠を建て天皇の神霊を祀ったのが起源。724年に聖武天皇の命により神功皇后の廟が造営され、仲哀天皇の神霊も遷され「香椎廟」となり今に至る。

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変更履歴
2022/01/22 初版


▼HP

▼アクセス

福岡県福岡市東区香椎4-16-1

▼祭神

主祭神:仲哀天皇、神功皇后 夫妻
配 神:応神天皇、住吉大神

 当初は仲哀天皇の廟で、その後、仲哀天皇は外れて、神功皇后、応神天皇、住吉大神の体制になるが、日韓併合から5年で、仲哀天皇と神功皇后の体制になる。
 つまりは、相手先の歴史的なものを配慮して、夫婦にした?とも妄想できるが、まあ~元々は仲哀天皇の廟なのでよいとしようか。

▼見どころ

 祭神は「仲哀天皇」「神功皇后」で「応神天皇」と「住吉大神」も祀る古社。熊襲の反乱を鎮めるべく、ここに滞在するが、神の御信託(*1)を無視したため仲哀天皇は崩御してしまう記紀の名シーンはここ
 その後、妻・神功皇后(気長足姫尊)は、海を渡り新羅を平定した後に、仲哀天皇の御魂を祀ったのが始まり。

*1:御神託
 仲哀天皇に熊襲ではなくて朝鮮半島を平定せよ!と信託したのは住吉大神で、応神天皇が神功皇后のお腹の中にいるときに「天皇になるべき子」と言ったのも住吉大神(応神天皇は生まれながらにして天皇になる子「胎中天皇」とも称された)。
 この話から重要な神様なので、ここに祀られているのだろう。
 そんな記紀のワンシーンがこの神社に詰まっている。

▽しょうぶ池・辨財天社

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▽鳥居

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 鳥居前には、皇族も馬から降りるよう指示している。この神社は三重の伊勢神宮、京都の石清水八幡宮、福井の気比神宮と共に「本朝四所」と称され、古来皇室から厚い崇敬を受けてきた。また、九州唯一の勅祭社で、お祭りごとに天皇の使いが来る。その他の勅祭社は伊勢神宮内宮、下鴨・上賀茂神社、石清水八幡宮、春日大社、氷川神社、鹿島神宮、香取神宮、出雲大社、宇佐八幡宮などで、いずれも有名古社である。

 仲哀天皇は熊襲の反乱を鎮めるべく、ここに滞在するが、神の信託を無視したため仲哀天皇は崩御してしまう。その後、妻・神功皇后は、海を渡り新羅を平定した後に仲哀天皇の御魂を祀ったのがこの神社の始まり。

▽楼門

 鳥居をくぐると石造りの神橋があった。それを渡ると楼門となる。

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▽勅使館

 お祭りごとがあるときに天皇からの勅使が来る古社のため、勅使が来たときに滞在する場所がある。楼門をくぐり、階段を登って右手にあります。

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▽綾杉

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 香椎宮の御神木・綾杉は樹齢1800年を超える大杉。神功皇后が植えたと伝わり、通常の杉とは異なり、葉が交互に交わって綾の文のようになってることから「綾杉」と名づけられたとさ。
 神功皇后が三韓征伐から帰国した際、剣・鉾・杖の三種宝を埋め、鎧の袖に挿していた杉枝を本朝鎮護祈願で植えたものであるそうな。
 過去、様々な災難に見舞われたこの御神木は、その強い生命力で新しい芽を出し、このような大木に成長した。夏目漱石が香椎宮に立ち寄った際に「秋立や 千早ぶる 世の杉ありて」と詠んだそうだ。

▽中門

石段を昇って中門をくぐる。中門から左右に回廊が巡らされている。

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▽拝殿・本殿@重文

江戸時代に再建された本殿は、国の重要文化財。「香椎造り」と呼ばれるこの様式は、唯一無二の建築様式で全国でも香椎宮でしか見られないようだ。

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 前述の勅使社が書かれています。

 後述の写真からも分かるように、屋根の形式が特徴的です。

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本殿を一周します!

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 本殿右側から見ると確かに面白い造りだな~。ということで、本殿をぐるっと周って本殿を見てみた。確かに面白いな~と思った。因みに本殿左右には面白い摂社・末社がある。


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 本殿裏には大木があり、その中には古い石碑があり、そこには「勅使が植えた」と彫られていた。古社だとこういうのが残っており、昔も今も変わらない風景が残っていると思うと感慨深いものがある。

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 本殿の真裏に大きな楠が見える。注連縄はされていないが御神木感が凄い。

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 神功皇后朝鮮出兵の際に、お腹に月延石や鎮懐石を当て、さらしを巻いて固定することで応神天皇の出産を遅らせたという信じがたい話があるが、月延石は長崎県壱岐市・月讀神社、京都市西京区・月読神社、福岡県糸島市・鎮懐石八幡宮に奉納されている。


▽摂社・末社

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 本殿右の回廊を抜けると「巻尾神社」がある。祭神は中臣鎌足、藤原不比等の先祖「中臣烏賊津(ナカトミノイカツ)」となっている。所縁は仲哀天皇と神宮皇后の大臣として仕えたそうだ。
 香椎宮で神功皇后が神意を問うたとき、神託の判定者として召され、顕現した神の名をただす。神と人の仲介者=中臣氏ということですかね。

▽古宮跡(ふるみや)、沙庭斎場、棺掛椎

 境内から出るが、「古宮跡(ふるみや)」「古宮大明神跡」がある。古宮は仲哀天皇のことを指し、ここが住吉大神の御神託を聞いた場所「沙庭斎場」であり、朱色の垣内に生えている椎の木が、仲哀天皇の棺を立て掛けた「棺掛椎」だという。

古事記
仲哀天皇が筑紫の訶志比宮に坐して、熊曽国を討伐しようとしていた時、神功皇后が神懸かりました。天皇は御琴を弾いて、建内宿禰大臣が「沙庭」に居て神のお告げを聞きました。

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『万葉集』に歌われた香椎潟
 いざ子供 香椎の潟に 白妙の 袖さへぬれて 朝菜摘みてむ

▽不老水

 本殿から北300メートルにある不老水は日本名水100選に選出された名水。神功皇后のお供をし、現代でいう内閣官房長官をずっとしていた武内宿禰が、この水を飲んで300歳まで生きたという伝説があります。

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境内には記紀のシーンを示した絵があった。他の古社と同様に無料で頂け、地元の方も来られている場所で、私たちが来た時にも、汲んでいかれた人がいた。

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 最近、水量が少なくなっているそうで、少し前の奈良・大神神社と同じようだ。扉を開けると井戸があり柄杓が置いてある。

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綺麗な湧水がある。土足で入るのは厳禁です。ペットボトルを持って来たらよかったなと後悔(笑)。と、同時に2組の旅行客と思われるかたが来た。

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▽境内に戻り摂社・末社

 本殿左の回廊を抜けると摂社「武内神社」が鎮座している。祭神は蘇我氏の先祖「武内宿禰」となっている。タケノウチスクネも「巻尾神社」の祭神と同じく大臣として仕えたそうだ。

 あっ・・本殿を挟んで右大臣、左大臣ということ・・そういえば大きな八幡系の左には常にタケノウチスクネが祀られているなと気づく。

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 タケノウチスクネは300歳を超えるという大臣で、景行・成務・仲哀・応神・仁徳の5代の天皇に仕えた。厳密にいえば、天皇を補佐する名家(豪族)がおり、その総称だろうと思っている。もしくは藤原氏が記紀に面倒だし、ほかの豪族は無くしたいので、1つにまとめた?のかも。

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▽「稲荷神社」と謎の「鶏石神社」

 綾杉裏には「稲荷神社」と「鶏石神社」がある。稲荷神社の祭神などは、稲荷神でよいのだが、「鶏石神社」の祭神は不明と記されている。

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鶏石神社

 狛犬ではなく「狛鶏」で雄鶏と雌鶏になっている。。祭神は不明で、ご神体は鶏石とのこと。
 鶏の死を悲しんだ僧侶が、石になった鶏を祀ったという伝承がある。日本で唯一の鶏を祀る神社ということにもなろう。

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 「鶏石神社」の祭神は不明と記されているが、ホームページには、参拝を勧める情報が多い。何か隠しているのか?と疑ってしまう・・。

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▽境内そのほか(亀の池など)

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 亀の池でツツジ園の前になる。橋もかかっており、木々や花の見どころ時は、人気スポットになりそうな感じですね。

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武内宿禰が応神天皇を抱いた像。実は、応神天皇の父は仲哀天皇ではなく、武内宿禰では説がある。という意味で、この像は意味深である。

▽早辻神社

 香椎宮の社務所の南東の小高い丘の上に鎮座。祭神は、大伴武以(御田氏氏神)・清原真人氏貞(清原氏祖神)。
 大伴武以は、中臣烏賊津、大三輪大友主、物部膽咋らと共に、百官を率いて、宮中の警護に当たった。

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▼セットで行くところ(▼旅行記)


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