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京都御所に献上「御栗栖神社」1887年まで【京都南山城シリーズ】

『宇治拾遺物語』の「天武天皇煮栗焼栗」伝承の舞台であり、田原祭の3社のうち一つ。1283年に大宮神社から分祀されたのが起源とも言われているが、1283年以前に豪族から社領を寄進されたと記録があり、それ以前から祀られていたとも言われてる。

 私は境内に大神神社があるなと思っているところ妻は写真を撮りまくっている。交通安全の絵馬は、モノクロでシンプルなのに絵柄としては斬新。相変わらず、この手の面白いものを妻は良く拾う(笑)

 古代最大の内乱「壬申の乱」直前、大津京を脱出した大海人皇子(後の天武天皇)は、吉野への道中に立ち寄った里で供された煮栗焼栗を埋めて戦勝祈願をした。やがて栗は芽生えて栗林となり、収穫された栗は宮中へ献上されたという伝承の舞台。「田原祭」三社のひとつ。

変更履歴
2023/07/11 初版


▼HP なし

▼アクセス

京都府綴喜郡宇治田原町南宮ノ上西76

▼祭神

天津彦根命(アマツヒコ)

▼見どころ

 「みくるすじんじゃ」と読む。御栗栖神社の境内の桜は今回の日帰り旅行で咲いている方だった。

 『宇治拾遺物語』の「天武天皇煮栗焼栗」伝承の舞台であり、田原祭の3社のうち一つ。1283年に大宮神社から分祀されたのが起源とも言われているが、1283年以前に豪族から社領を寄進されたと記録があり、それ以前から祀られていたとも言われてる。この神社名の由来は中世から1887年まで、毎年11月15日に京都御所に栗を献上していたことに由来するとも言われている。祭神は天津彦根命(アマツヒコ)を祀り、南山城の鉄板「神明社@天照大神」、「天満宮@菅原道真」の社がある。

→参道

 境内に入るとところどころ苔むしている場所があり、苔好きにはオススメスポットである。近づくと本殿の裏側が見える。こっちが表参道と思っていたが、そうでない!?

→拝殿・本殿

 近代的な社殿である。檜皮葺だが、千木と鰹木はないのがすぐわかった。祭神は「天津彦根命(あまつひこねのみこと)」で、アマテラスとスサノオの誓約で生まれた神様。現在では、宇治田原の南地域の氏神となっている。

 神紋が面白いな~と思っている。本殿左右に狛犬がしっかり守っている。そしてここで思った。宇治田原3社の一宮はここだなと。大宮は京丹後などでも二ノ宮が多く、三宮神社は名前の通り三ノ宮だなと。根拠なしだが・・。

→摂社・末社

 本殿をぐるっと巡り、摂社・末社を見て行く、神宮や天満宮など南山城お得意の天系が多く集まっている。ただ、ここで面白かったのは大神神社があったこと。そう、奈良・大神神社から三重・岐阜の三輪系神社はこの地域が通り道だったのかも。

 末社として天照大神、天満宮、皇森社の三社があります。

→御神木


境内には2本ぐらい注連縄でくくられた御神木があった。残念ながら1本は上の方が折れたようだ。ただ、昔ながらで言うと、「神社の大木=御神木=神仏習合時代は一木名作仏像」という等式と勝手に思っているので、その形で残してほしいな~。

▼旅行記

▼セットで行くところ

▼仏像展


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