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国宝の薬師&十二神将像「新薬師寺」鎮守社「鏡神社」は春日大社の古神殿移し!2010年代と20222年見比べ【ならまちシリーズ】【高畑シリーズ】

天平文化の宝庫!世界で5本に入るチーム薬師!十二神将No.1はここでしょう!聖武天皇・光明皇后が尊崇した仏像ここにあり!お目目パッチリ「薬師如来坐像@国宝」を守るようにグルリと囲む塑像「十二神将像@国宝」は圧巻!
 747年に、聖武天皇の病気平癒を祈って光明皇后によって七仏薬師が祀られ、新薬師寺が創建。残念ながら6体と脇侍は焼失した・・。

ご注意:新薬師寺の国宝「薬師如来坐像」23年度の修理助成事業の対象に

文化庁、宮内庁、読売新聞社による「紡ぐプロジェクト」は、2023年度に実施する修理助成事業の対象に、奈良・新薬師寺の国宝「薬師如来 坐像ざぞう 」など7件を決めた。有識者でつくる選考委員会が公募の中から選定した。
大きく開かれた目が特徴的な新薬師寺の薬師如来坐像は、頭から胴体の体幹部分をカヤの一材から彫りだした 一木いちぼく 造りで、奈良時代末から平安時代初期の作という。台座の虫食いなどが著しく、2年かけて亀裂部分の接合などの作業を行う。

https://kyotopi.jp/articles/me7Be
2022年10月

変更履歴
2022/12/17 前述に注意事項記載(
https://kyotopi.jp/articles/me7Be
2022/11/26 初版

▼HP

▼アクセス

奈良県奈良市高畑町1352

▼祭神・本尊と脇時

薬師如来坐像@国宝

▼見どころ

▽比賣神社

2010年代

 新薬師寺入り口前にある。神社は隣接する「南都鏡神社」の摂社で、新薬師寺を守護するように新薬師寺の門前に鎮座する。

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 祭神は「十市皇女(トウチヒメミコ)」、脇座は「市寸嶋比売(イチキシマヒメ)」となっている。十市皇女は、天武天皇と額田王の娘で、壬申の乱で敗死した大友皇子の正妃。

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1981年に鎮座した新しい神社だが、元々は「比賣塚」と呼ばれる古墳がある場所で、「高貴の姫君の墓」という言い伝えのある場所として知られていた。日本書紀によると「678年4月14日に十市皇女(天武天皇第一皇女)を、682年に藤原鎌足の娘・氷上娘を赤穂の地に埋葬した」とされており、その「赤穂」の地と呼べる場所は近隣の「赤穂神社」周辺しか見られないため、比賣塚がその墓所であると推定され、神社が創建された。

▽新薬師寺

 東門・南門・鐘楼・地蔵堂はいずれも鎌倉時代に建立され、重要文化財に指定。そして、薬師如来坐像、十二神将立像は国宝!だが、十二神将は1体が国宝ではない(波夷羅大将のみ1854年の地震によって失われ、現在では補作)。

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2010年代

↑東門↓南門

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2010年代
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2010年代
  • 747年、聖武天皇の病気治癒を祈願して、皇后・光明皇后により創建

  • 743年、聖武天皇は危機の日本を復興させるべく、行基とともに廬舎那仏(現、東大寺・廬舎那仏)を作ることに

  • 745年、地震などの天変地異で、平城京に戻るが、体調を崩す

  • 751年頃、光明皇后が新薬師寺になり今の七仏薬師を安置

  • 752年、東大寺で廬舎那仏の開眼供養会

  • 962年、本堂などが台風で倒壊

 8世紀に光明皇后が、聖武天皇の病気治癒のために建立した寺。

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→鐘楼、竜王社

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→本堂@国宝

 創建当初からの本堂ではなく、別のお堂だった建物を転用しているが、奈良時代のもので国宝である。一説には、食堂だったものでは?とも。ただ、屋根の上の色とりどりの瓦は、天平時代の瓦もあるほど古いものでもある。

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2010年代

 本堂内には円形の土壇の上に薬師如来坐像@国宝と十二神将@国宝が安置されている。

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 薬師三尊とそれを取り巻く日本一の十二神将たちが安置され、天の代表格として、テレビ・雑誌でもよく取り上げられるところでもある。

 創建はいろいろあるが、天皇が眼病治癒などから創建したそうな。確かにこの薬師如来はお目目パッチリ系で写真写りはコミカルな感じがする。

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2010年代

 最後に、薬師如来坐像の光背には6体の薬師如来がおり、七仏薬師といわれているは七体あったが、六体と。また、昔は現在の本尊と同じ大きさの薬師如来が安置されていたそうな。そう、浄瑠璃寺の九体阿弥陀如来坐像のように七体薬師如来坐像群だったようだ。
 なお、脇侍の日光・月光菩薩は壊れてしまい、今のラインナップになった。


→別棟香薬師堂:おたま地蔵尊、景清地蔵尊 ※要事前予約

 本堂安置の景清地蔵尊の体内より裸形地蔵尊が発見。下半身も見えている我が国最古の地蔵尊。隠れスポットで、元々は伝香寺と同様に服の着せ替えがされていたのだと思いますが・・。

 おたま地蔵尊に服を与えられたお地蔵さんが「景清地蔵尊」であるのだが、この胎内仏が「おたま地蔵尊」である。

→そのほか

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→本堂:十二神将(写真はなら奈良館の模像)

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→香薬師堂、庫裏、庭園

 滑るので雨の日は要注意です。何かが泳いでいる!!でかっ・・オタマジャクシだった・・。

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→地蔵堂、石仏群、稲荷社

 境内左にあり、中を覗くと、中央に十一面観音立像で、左に中尊より立派な薬師如来立像、地蔵菩薩立像が安置されている。

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▽南都鏡神社

 鏡神社がひっそりとあるが、これは春日大社の第46回式年遷宮の第三殿譲渡されたものである。

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 806年に新薬師寺の鎮守として勧請されたと伝えられている。祭神は天照皇大神、藤原広嗣公、地主神の3柱。

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  本殿は1746年に「春日大社の第三殿」が移築されたもの。春日大社の本殿は、伊勢神宮内宮と同じく神職以外は立ち入れず、見ることが出来ない、かつ、江戸時代のものなのでかなり貴重かと。

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▼旅行記

▼セットで行くところ

▼仏像展


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