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記憶力と、思い出す力

わたしもあんなふうに丁寧に他人のことを思い出すだろうか。
その人のことを想って声をかけなかったこと
その人のことを風の噂で聞いて申し訳なく想ったこと
その人の家族や故郷の話を楽しく聞いたこと

その人の容姿をいろかたちまではっきりと思い出すだろうか。
声色や匂い、纏う空気はどうだろう。

言葉にして表すこと、思い出すことはできないかもしれない。

一番長く一緒にいた人ですら、もうわからない。

瞳の色は何色だったか
眉毛がどんなふうに生えていて、睫毛がどちらを向いていたか
タバコの銘柄もわからない。
声は思い出せるのに、どんな言葉をかけてもらったかわからない。


須賀敦子のヴェネツィアの宿を読んだ。
あまりにも丁寧に、過去のことを書くもんだから、わたしにはその能力が羨ましくて不思議で仕方がなかった。

昨日の夜、お風呂で歌った歌は何だったか。
必ず一曲は歌ったはずだけれど、歌いながら何を思ったか。誰を思い浮かべたか。

覚えていることが難しいのは、思い出すこともしないようなことを脳みそが勝手に覚えてくれるわけではないからだ。きっと思い出そう、そんな光景を人は記憶するのだろう。


今日のお昼すぎ、商店街を歩きながら考えたこと、なんだったっけ。
学生時代にテストのために必死で覚えたことも、テストがなくなった今思い出す必要もなく、忘れ去っている。

もちろん、思い出したくはないが忘れられないこともある。そんなことは、いつか忘れてしまいたいものだが。


ときどき、自分の記憶力について考えて怖くなる。
勉強が平均点以上だったら、記憶力も平均点以上?
ときどき、日々のルーティンは時間を食い尽くすためだけにあって、覚えていることなんて一握りのような気になる。小学校の6年間なんて何秒思い出せる?中学校は嫌なことしか覚えていない。何か楽しいことはあったのだろうか。高校時代はあんなに楽しかったはずなのに夢か現実か曖昧で、大学時代は外国にいた時の記憶が強すぎてその他の日々は寝て過ごしたのか?と思うほどだ。ふと思い出すことはもちろん山ほどあるが、思い出そうとして思い出せないことが怖い。

みんな、そんなものなのだろうか?



他人の記憶力がどうであれ、わたしはそろそろ、そんな怖さと向き合ってみてもいいのかもしれない。スマホの画面をスクロールしても、自分にまつわる情報は何も流れてこない。記憶も思い出も感情も後悔も、自分のなかにしかないのだから。ひとつずつ思い出しては、ゆっくり取り出してみる。思い出せない瞬間は、思い出せないこととして味わう。これからはもう少し、自分の時間を生きたいと思う。


#エッセイ #日記

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