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ただの失敗

高校の頃だと思うが、「面白い」が正義みたいな空気が苦手だった。学生ノリが苦手と言い換えても良いかもしれない。

スポーツができたり、面白いこと言えたり、単純にルックスが良かったりと、そう言ったシンプルな特性を持った人間が目立ち、人気があったりするのは高校くらいまでだと思う。

それ自体は特になんとも思わなかった。スポーツにしろ面白さにしろ、個性が強い人間が揃っていると体育祭や文化祭といったイベントは楽しくなるし、自分がそうしたイベントに関わることも楽しかった。

ただ、時たま唐突に振られて「面白い」を求められるのは苦痛だった。ここでの「面白い」はまあクラスに笑いを生み出す類のもので、お笑いとかに近いものだ。

それらは、授業中等に直接的に求められることもあれば、なんかゲームをしている中で生まれた罰ゲームなど、「用意された面白い」を自分が実行に移すことを求められるケースもある。学生ノリってやつだ。

自分の心とは厄介なもので、ノリが求められる点以外は面白いから混ざっていたいと思っていたり、ノリを持ち合わせた人間たちは当時の自分には華やかにも見えたり、それが積み重なると、ノリが良いことが正義のようにも感じてしまったりする。その辺のジレンマが結構なストレスだった記憶がある。

高校も3年くらいになると受験がからんできたり、それに合わせたカリキュラムに変わったり、そもそも学校にいく必要のない期間まであったので、自然のクラス単位でのそうした空気は薄れて言ったが、その中で各個人は繋がりや趣味の合う強いコミュニティの中で「つるむ」ようになり、なんとなく付き合っていて、特に部にも所属していなかった自分は自然に孤立した。

と言っても、個で動くことも自然な時期ではあったので、好きに動いてそれなりに楽しんではいたが、ちょっとした寂しさがあったのも否めない。

今となってはそれも思い出ではあるが、しっかり振り返ると胸に来るものがあるので、当時の自分は相応に苦しんでいたのだろう。当時はそれほど意識はしていなかったが、その後の自分の行動を考えると、自分は高校時代を悔いている。

ただまあ、思い返すとあの3年間を作ったのはいくつかの失敗によるものだ。自分でやってみたくて選んだ部や、それを辞めた後に帰宅部を選んだこと、未熟さ故にとった配慮に欠けた行動。細かくはもっとあるかもしれない。

ただの失敗だ。先の人生には活きている。

3年単位の成功や失敗はその後もあれこれあって、そうした意味では高校の3年もただの3年でしかない。ただ、高校生活に対する自分や世間の意識が重みを変えている。でも、ただの3年だ。失敗もある。仕方ない。

と、当時の自分がわかっていればもっと楽だっただろうな。ものの捉え方が見えてきて人生が楽になったのは社会人になってからだったし。まあ、苦しんじゃいたがそれなりに楽しんでもいたので、あれはあれでいいのだろう。

自分の息子はいま小1で、これからしばらくは長い学校生活を送ることになる。まあ色々なことがあるだろう。色々苦しむこともあるだろう。 色々と過渡期ではあるものの、依然として旧態依然とした学校の中で、個性によっては生きていくのも大変だ。彼がどうなっていくかはまだわからない。

。。。自分のことの方がまだ楽だと考えるであろうことは、今から目に見えている。

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