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懐かしの昭和ロックに感動!ダウン・タウン・ブギウギ・バンド「サクセス」を紹介します

こんにちは。やんそんさんです。
今回は、キレッキレッのラテンサウンドが抜群にカッコいい
昭和を代表するロックバンド、
ダウン・タウン・ブギウギ・バンド「サクセス」を紹介します。

「サクセス」は私の子どもの頃にヒットしたCMソングです。
大人になって聴いてみたら、驚愕と感動、そして新たな興味が広がりました。

もしあなたも気になる曲があるなら、ぜひもう一度聴いて下さい。

曲や歌詞の素晴らしさ、当時のミュージシャンの卓越した演奏、
曲をより一層魅力的にするアレンジ、
「先達の技と心」に感動を覚えること間違いなし!
”時代と世代を超えた音楽”との遭遇は驚きと新たな発見があります。

それでは、まず「サクセス」と私の出会いから、お話しします。



「サクセス」と私の出会い

1970年~1980年代。
化粧品会社のCMソングは、その時代を象徴するアーティストが歌い、
多くの曲は、ヒットソングとなりました。

今回、紹介する「サクセス」も、
1977年、夏にオンエアされた資生堂のCMのために作られた楽曲です。

テレビから頻繁に流れるCM。
美しいモデル(ティナ・ラッツさん。日米ハーフのモデル)
の映像と合わせて、バックにアップテンポの音楽が流れます。
「ブラインド いっぱい あけたへやにはー」
リードボーカルの宇崎竜童さんが歌う、アップテンポにのせた歌詞は、
当時、小学生だった私が歌うには、難易度高。

「ここまで来たらー サクセース サクセース」
というサビのフレーズ以外、憶えることも歌うこともできませんでした。

また、1977年といえば、世はピンク・レディー旋風の真っ只中。
TVの前でミーちゃん・ケイちゃんといっしょに歌って、踊っていました。
小学生の女の子は、みんな夢中に。もちろん私も!です。

片や「サクセス」を歌う、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドは
1973年デビュー、平均年齢30歳前後の大人のロックバンドでした。

1974年、初ヒットの「スモーキン・ブギ」は、
「スーッ パッ パッ」という合いの手のようなコーラスがキャッチーな、
学生が朝から晩までタバコを吸っているという
軽快なブギが楽しい、コミックソングのような歌。

1975年に大ヒットした「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」は、
歌詞のほとんどをボーカルの宇崎竜童さんが語り、
メロディのついた歌詞は「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカー」と、
メンバー全員で歌うコーラスのみ、という、
”トークソング”スタイルが画期的で大ヒット。

語りの最後の決め台詞、
「アンタ あの娘のなんなのさ」はインパクト大で、流行語となり、
子どもから大人まで知っているメジャーなグループとなりました。

しかし、TVで見るメンバーのスタイルは、
リーゼントヘアにサングラス、ツナギか革ジャン。
小学生女児から見たら不良のおじさんたち。
ちょっとコワくて近寄れなかった。

「ここまで来たらー サクセース サクセース」
このフレーズを潜在意識の中に残したまま、
"サクセス"という英単語の意味も知ることなく、
ピンクレディーの「カルメン’77」を
TVの前でミーちゃん・ケイちゃんといっしょに歌って踊っていました。

「サクセス」との再会

時は流れて21世紀。ピンク・レディーと一緒に歌って踊っていた私も、
「おばさん」といわれる年齢になりました。

そして「サクセス」との運命の再会!をしたのです。

10余年前のある日、
夫がダウン・タウン・ブギウギ・バンドのCDを購入しました。

「え? なぜダウン・タウン・ブギウギ・バンド?」
普段、ジャズやクラシック音楽を聴いている夫。
たまに、10~20代の頃に流行った曲を一緒に聴くこともありますが、
ダウン・タウン・ブギウギ・バンドが夫の好みのジャンルとは思えず…。

CD購入のキッカケとなったのは、
夫が10代の頃、友人からもらったというカセットテープでした。

そのカセットテープには、
ランダムに様々なミュージシャンの曲が録音されており、
ダウンタウンブギウギバンドの曲も何曲か入っていたようです。
その中の一曲「愛しのティナ」という曲が夫は気に入ったようで、
いい音で聴きたいと、お気に入りの曲が入ったベスト盤CDを購入。

嬉しそうにCDをプレーヤーにセットする夫。

「ダウン・タウン・ブギウギ・バンドかぁ・・・とりあえず聴こう」
テンション低めの私。

CDは「スモーキング・ブギ」でスタート、
「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」「カッコマン・ブギ」以外は、
知らない曲ばかり。軽く聴き流しておりました。

「男くさい曲ばっかりだなぁ」ちよっと退屈。

アルバム全16曲中、10曲が終わりました。
「う~ん、あと何曲?」曲リストを見ると次の曲は「サクセス」。
あ~昔、流行った曲ね。

「サクセス」が始まりました。

ダウン・タウン・ブギウギ・バンドは一流のプロミュージシャン

「何これ! めちゃめちゃカッコいいではないか!」

(この先”カッコいい”が何度も出てきます。
語彙の貧しさ+他に表現のしようが無いのです。どうか、お許し下さい。)

まずイントロの、疾走感溢れるラテン・ビートにノックアウトされました。

イントロ部分は初めて聴いたかも。トランペットもギターも超カッコいい!
ここまでに聴いた曲の中にも、カッコいいのあったよね…。
急にダウン・タウン・ブギウギ・バンドに肯定感を持つ私。

「ブラインド一杯 開けた部屋には〜」歌の部分が始まりました。
曲が進むにつれ、新たな発見をした!と、驚きと高揚感が増して来ます。

まず、演奏とアレンジがすごくカッコいい!

ラテン&哀愁を感じるガットギターの音からスタート、
ホーンセクションが一斉に鳴り、気分は真夏の太陽を浴びているよう。

パーカションアンサンブルの躍動感あるビートの刻み、
ピアノが刻むアクティブなコードの動き、
それは、セクシーなダンサーが踊っているような激しい艶めかしさ。

間奏のトランペットやギターのソロも、すごくキレッキレッのプレイで、
スタートからエンディングまで耳が離せません。

まさにラテン!極彩色!のサウンド&プレイです。

子どもの頃から「不良っぽい人たちのバンド」のイメージだった
ダウン・タウン・ブギウギ・バンドが、
一流のプロミュージシャン揃いのバンドだったとは知らなかった!
耳が肥えている、感度の高い子どもであれば、気づいていたかも…。
己の感性を残念に思いつつ、30年余の時を経て知ることができて良かった!

男のカッコよさと色気を感じる唯一無二のボーカリスト

そして作曲した宇崎さんのボーカル。
激しく熱いのにクール。
男のカッコよさと色気を感じる、唯一無二のボーカリストです。

宇崎さんは著書で「サクセス」についてのエピソードを明かしています。

(前略)最初は、俺たちが歌う予定じゃなかった。(中略)
いろんな歌手でオーディションをやったけど、全然歌えない。
どれを聴いても早口言葉みたいになってノッテいないわけよ。(中略)
「それじゃ、作った宇崎サン自身で歌ってみてもらえませんか?」
スタッフの誰かが、そう言い出した。(後略)

宇崎竜童著/ブギウギ脱どん底ストリート(「俺たちゃとことん」改題)より

ロックとラテンと歌謡曲が混在しているこの曲を、
カッコよく歌い上げられるのは作曲者であるこの人しかいなかったのです。

クライアントである資生堂は、
ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの「不良」「ロック」「ツッパリ」は
化粧品のイメージにはそぐわない、と眉をひそめたようですが、
結果は,、ヒットチャート1位に。

次の年には、矢沢永吉さんの「時間よとまれ」、
それ以降もツイストの「燃えろいい女」、
甲斐バンド「ビューティフル・エネルギー」と、
化粧品会社のCMソングにロックが採用されていきました。

時代はロックの「熱さ」「情熱」を求めていたのですね。

「誰もが思わず、口ずさんでしまう」強烈な”サビ”

さて、子どもの頃歌うどころか、歌詞を追うことさえできなかった私も
CDの歌詞カードを見ながら、宇崎さんと一緒に「サクセス」を歌います。

宇崎さんになりきって、ノリノリで歌う私。
キメ台詞のような「待たせたね」は、男前な気分で歌います。
”サビ”の「ここまで来たら サクセース サクセース」は、
キメ顔とキメ声(?)でシャウトします。

人知れず、CDと共に歌っている私ですが、
このキャッチーなフレーズを、突然思い出し、頭から離れないことが…。

会社で、トイレの中で、電車を待っているホームで…。
不意に「待たせたね」から、歌が脳内で途中スタート、
心の中で宇崎さんになりきって歌い続け、
「ここまで来たら サクセース サクセース」とシャウト。

突然思い出し、脳内をぐるぐる巡り、しばらく頭から離れない…。
「ヒット曲あるある」です。

やはりヒット曲は「誰もが思わず、口ずさんでしまう」
「もっとも盛り上がる、聞かせどころ」=”サビ”が重要。

宇崎さん作曲、阿木燿子さん作詞の有名な”サビ”といえば
山崎百恵さんの「プレイバックPart2」の
「馬鹿にしないでよー」「ちょっと待って プレイバック プレイバック」
「横須賀ストーリー」の
「これっきり これっきり もうこれっきりーですか~」
「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」の
「アンタ あの娘のなんなのさ」「港のヨーコ・ヨーコハマ・ヨコスカー」

”サビ”の前後を思い出して下さい。
阿木さんの強烈なインパクトのある歌詞をより効果的に際立たせる、
宇崎さんの作る曲ならではの、曲中の歌詞と歌詞の独特な間の取り方。

歌詞と曲が合わさることで、より強烈な”サビ”となり、頭に残る。
そして「誰もが思わず、口ずさんでしまう」。

宇崎さんが作る「曲中の歌詞と歌詞の独特な間の取り方」は
他に似たフレーズは思い浮かばない、独特のものです。

弾丸を打ち続けるミュージシャン 宇崎竜童さん


「宇崎さん独特の音楽」はどのように作られたのか?と、
幼少期からの音楽の道のりをたどってみようと思いたち、
宇崎さんの著書を数冊、図書館から借りて調べてみることに。

その中の一冊、「ブギウギ脱どん底ストリート」(角川文庫)によると、
もの心ついた頃から音楽に囲まれて育った、という記述がありました。

家族の音楽の好みはバラエティに富んでいたそうで、
まず、お父さんは浪曲。お母さんはクラシック。
お兄さんはタンゴ、ラテン。
お姉さんと宇崎さんはカントリー&ウエスタン。
成長するにつれ、興味はどんどん広がり、
映画音楽、セミ・クラッシック、ジャズ、ブルース、ロックン・ロール、
ビートルズへ・・・。

演奏する楽器も成長に連れ変化、
小学生の頃のプラスチックの縦笛からスタート、
中学1年に従兄からもらったコルネット、
中学・高校のブラスバンド部でトランペット、
大学の軽音楽部でエレキギター。

そして作曲へと、自らの音楽の世界を次々と広げています。

幼いころから様々な音楽に触れ、強烈な好奇心と行動力で音楽を探求し、
試行錯誤しながら、自ら曲を作り、演奏し、歌ってきた宇崎竜童さん。

宇崎さんの人生の中で受けた、様々な音楽の影響が、
「宇崎さん独特の音楽」として作り上げられ、
多くのヒット曲に濃縮されているのです。

幾多のヒット曲を、奥様の阿木燿子さんとのゴールデンコンビで作り上げ、
稀代の作曲家となった宇崎さん。
多くのアーティストのリスペクトを受け、楽曲もカバーされ続けています。
75歳の現在も、好奇心と探究心、実行力は衰えることはなく、
楽曲制作・提供と演奏活動を続けています。

また、役者としても、数多くの映画・舞台・ドラマに出演されています。
(なんと、現在放送中の、NHKよるドラ「阿佐ヶ谷姉妹ののほほんふたり暮らし」にも中華屋のご主人役で出演されています。)

宇崎さんの尽きることのない
好奇心・情熱・行動力、そして才能は、いったいどこから来るのか…。

著書で宇崎さんはこう述べています。

名前も名誉も勲章も、欲しくはない。
ただ、自分の思ったこと、感じたことを弾丸として打ち続けたい。(中略)
他人に先んじようとか、気を衒おうとか、そんなこと思っていやしない。
歩きながらでもいいから、ひたすら撃ち続ける。できるのはそれだけだ。
(中略) 現在は、撃つ、見えない標的に向かって,俺は撃ち続ける。
多少、不格好かもしれないがー。

宇崎竜童著/ブギウギ脱どん底ストリート(「俺たちゃとことん」改題)より

「自分の思ったこと、感じたことを弾丸として打ち続けたい。」
75歳の今も弾丸を撃ち続けています。宇崎さん、カッコよすぎます。

ドラマチックな歌詞…プロの作詞家の仕事に感銘を受ける

そして…阿木燿子さんの歌詞が凄すぎるのです。

サクセス 

作詞:阿木燿子
作曲:宇崎竜童
編曲:千野秀一


ブラインド一杯 開けた部屋には
真夏の光が渦まいている
角氷一ツの涼しさに似た
あなたの言葉がやさしく溶ける
「待たせたね 
 廻り道だと笑うだろうか」
ここまで来たら 
サクセース
サクセース
女は昨日の顔で待つ

ブラインド半分 閉じた窓辺は
光が織りなす そう 縞模様
揺り椅子動かす力を抜いて
あなたの声だけ追いかけている
「待たせたね 
 お前ばかりに苦労をかけた」
ここまで来たら 
サクセース
サクセース
女は今日の顔で泣く

ブラインド下まで おろした部屋は
光も通さぬ一時の海
切なく流れる 溜息の午後
言葉にまかせて この身を投げる
「待たせたね 
 次の港はありはしないさ」
ここまで来たら 
サクセース
サクセース
女は明日の顔を持つ

※Down Town Boogie Woogie Band アルバム「Best Selection」より引用

歌詞は1番から3番まであり、
以下の流れで1番から3番まで構成されています。

・ブラインドの状態(開閉・上げ下げ加減)
・それに関連した部屋の光の様子
・女の心理描写
・男が女にかける言葉
・「ここまで来たらー サクセース サクセース」の決め台詞の後、
  最後に、女の顔を客観的に表現

ブラインド・光の変化・女の心理・男のコトバ・女の顔…。
それらの変化が巧みに表現されており、
女と男の関係がドラマチックに展開されていきます。

それは、まるで映画やドラマを見ているかのよう。
あっという間に阿木さんの作る世界に引き込まれていきます。

頭の中で即座にイメージできるドラマチックな歌詞。
甘美で艶めかしい女の心理描写。
男の心境の変化がわかる言葉。
言葉の表現が無くとも、時間の変化が理解できる構成。完璧です!

「サクセス」の歌詞は、”サビ”以外全く記憶にありませんでした。

大人になってこの曲に再会、歌詞を知ったとき、
「プロの作詞家の仕事とは、こんなにも素晴らしいものなのか」
と感銘を受けました。

日本レコード大賞、日本作詞大賞を何度も受賞され、
国からも紫綬褒章、旭日小綬章と褒めたたえられている阿木さん。
歌詞マイスター阿木燿子さんに驚愕&心服いたしました。スゴイ!

宇崎さんと同様、阿木さんの類いまれなる才能は、
いったい、どこから来たのか知りたくなってしまいました。

「サクセス」の主人公は…。

さて、ここからは歌詞について、私の頭の中で展開されたストーリーです。

登場人物は
夢を追いかけてさすらう男と、その男を待ち続ける女。

男は待ち続ける女に言葉をかけます。
1番では 「待たせたね 廻り道だと笑うだろうか」
2番では 「待たせたね お前ばかりに苦労をかけた」

男の言葉の変化から推測すると、確実に女の方へ心が動いています。
男には「じっと健気に待ち続ける女」に見えたかもしれませんが、
実は、女が思い描いたシナリオ通りに、男の心は女に近づいていきます。

それは1・2・3番に共通して、最後にこの歌詞が入ることで推測できます。
「ここまで来たらー サクセース サクセース」
女はそれぞれの段階で「サクセス」を確認しています。
男より一枚上手な頭の良い女がイメージされます。

男は、確実に女の思い通りに心が動いていきます。
男の言葉に女と男の距離・力関係が変化していく様が表れています。

そして、3番でついに男は女に告げるのです。
「待たせたね 次の港はありはしないさ」
まさに「ここまで来たらー サクセース サクセース」です。

女が思い描いたシナリオ通りに男の心を掴むまでのドラマ。
男性である宇崎さんが歌うので、ソフトフォーカスされた感がありますが、
「サクセス」の主人公は、「男より一枚上手な頭の良い女」
=「したたかでしなやかな強く頭の良い女」だったのです。

この「サクセス」は、昭和というまだまだ男性優位な社会の中で、
「新しい女性像」として作られた歌だったように感じます。
それは歌詞の最後の「女は明日の顔を持つ」というフレーズが、
未来を見つめる女性の姿がイメージできるものだからです。

1977年当時の女性の社会での位置は「常に一歩下がって」という感じで、
子どもの頃は「女の子らしく、お行儀よく、親に口ごたえしない」
大人になったら「女性らしく、男性のサポートができる気の利いた女性に」
母になったら「夫と子供たちのために、自分のことは二の次に」
それが当たり前でした。

真夏の太陽の下、アクティブに活動する美しいモデルの映像とともに、
激しく熱いラテンサウンドが流れる化粧品のCMは、
当時の女性に新しい時代の到来を感じる「何か」を与えたかもしれません。

🎹  🎹  🎹


ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの「サクセス」の
「カッコいい」の理由をみなさんにお伝えしたい、と
調べたこと、感じたことをまとめていくうちに、
評論のような終わりとなりました。そして、長文ですいません。

でもまだ紹介したいことがあるので、ちょっとだけお付き合い下さい。

「愛しのティナ」

最後に夫のお気に入りの「愛しのティナ」を紹介いたします。

愛しのティナ

作詞:阿木燿子
作曲:宇崎竜童
編曲:千野秀一


燃える太陽が
おまえをブロンズに変えるのか
日にやけた肌に刻みこまれた
季節がまぶしい
※愛しのティナ
繰り返す夏ごとのビィナス
愛しのティナ
おまえをしばる髪を切って
私の許へ 飛んでおいで

熱い砂浜が
みがいて 命を与えたのか
おまえの姿が 夕日の中で
輝いてみえる
愛しのティナ
繰り返す夏ごとのビィナス
愛しのティナ
その足許の貝を壊し
私の許へ 飛んでおいで
(※くりかえし)
私の許へ 飛んでおいで

※Down Town Boogie Woogie Band アルバム「Best Selection」より引用

イントロのギターの「ちゃかちゃーん」のレトロ感が印象的な、
ロマンチックでシンプル、聴いていて心地良い、軽やかなラブソングです。
ベースの新井武士さんとギターの和田静男さんの男性デュエットが爽やか。

夫に「この曲のどこが好き?」と訊ねると、
「メロディ。いーとしのティナー、ってところ」と即答。
思わず口ずさんでしまうメロディーが気に入っているようです。
ゴールデンコンビの”サビ”パワーは、この曲にもしっかり入っていました。

「愛しのティナ」は「サクセス」と同時に資生堂から依頼があり、
CMに登場するティナ・ラッツのイメージソングとして制作されました。

資生堂がCMに登用しているモデルのためにわざわざ曲を依頼するー。

ティナってどんな人だろう?
モデル業界・広告業界・化粧品業界では超有名人だった?
曲よりもティナその人が気になります。

ウィキペディアで調べてみると

ティナ・チャウTina Chow, 1950年4月18日 - 1992年1月24日

アメリカ人と日本人のハーフであるティナ・ラッツは10代で来日、
大学に在籍しながらモデルとして活躍、
特に資生堂の広告塔としてポスターやテレビ・コマーシャルに起用される。

22歳のときに中国系アメリカ人と結婚を機に渡英。
名前もティナ・チャウと変わり、ジュエリーデザイナーとして活躍。
渡英後は、夫のレストランの常連客でもあったアンディ・ウォホールやキース・ヘリングなどの名だたるアーティストたちとの交友を結び、
ミューズとして彼らの手掛けた作品にも登場している。(後に夫とは離婚。※やんそんさん追記)

1980年代後半にエイズの宣告を受け、当時は治療するための薬がなかったため、病はそのまま進行し、1992年に帰らぬ人となった。晩年は、自身の他にもエイズに苦しむ患者を支えるためにホスピスを開設したり、エンジェルフードという支援プロジェクトにボランティア参加したりと、エイズに対する啓もう活動に積極的に参加した。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ティナさん、何だかすごい人だったんだ…。

ティナさんのことをもっと知りたくて、図書館から
彼女の半生をたどった伊東操著「ティナの贈りもの」を借りました。

まだ、最初の数ページしか目を通していませんが、
彼女は異性間交渉による感染であることを生前から公表していました。
また、多くの友人や知人がエイズで斃れたため、
感染を知る前から、エイズ救助活動を続けていたそうです。

「ティナの贈りもの」の巻頭には、
出版当時の資生堂社長と不二家副社長からの、
ティナさんへの感謝と追悼の序文が記載されていました。

資生堂・不二家両社のイメージつくりへの貢献への感謝と、
ティナさんの美しさだけではなく、才能・優しさ・スマイル・礼儀正しさを思い出として綴っていました。
美しいだけではなく人間性も素晴らしい女性だったのですね。

・・・そして最後のページは「愛しのティナ」の歌詞でした。

🎹  🎹  🎹

いかがでしたか?

ダウン・タウン・ブギウギ・バンド「サクセス」と「愛しのティナ」

「サクセス」の素晴らしさを記事を読んで下さる皆様にシェアしよう!と
熱が入ってしまい、またまた長~くなってしまいました。

この記事を書いているうちに、
阿木燿子さんとティナ・チャウさんのことをもっと知りたくなりました。
またの機会に、皆様に感動をシェアしたいです。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。
また、お会いできるのを楽しみにしています。
やんそんさんでした。







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