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「アートの町」黄金町と土方巽のつながり

深瀬昌久: スイカを喰う土方巽(1970)

舞踏(暗黒舞踏)の創始者・土方巽。秋田出身で東京で活動し、熱海に墓があるこのダンサーが、わずか1年という短い期間ではあるものの、横浜で暮らしていたことはあまり知られていない。

土方が暮らしていたのは、1960年の「麻薬銀座」と言われた時期の黄金町であった。

当時の住まいの所在地は「横浜市中区赤門町1-12 赤門荘」である。建て替わってはいるものの、ここに今も「赤門荘」というアパートが建っている。土方は妻の元藤燁子と2階に住んでいた。

現在の赤門荘。土方が住んでいた当時、1階はうどんの製麺屋だった。

このアパートや当時の土方夫妻の暮らしについては2014年から数回にわたってブログやツイートにまとめ、パンフレット付きのパフォーマンスイベントの形で発表したのだが、いまもときどき見つけた方からリツイートされることがある。つい先日も8年も前のツイートを見つけて連絡をくれた方がいた。

今後も一定の需要があると思われるので、関連ツイートをまとめておくことにした。

▼ブログのまとめ記事に触れたツイート▼

▼オンラインアーカイブなど▼


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