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Qiitaから今まで:自分はどこに?

Qiita創業者のやおっちです。今年は僕にとって大切な変化がありました。アップデートを残したくて、久しぶりに記事を書きます。

Qiita時代にできたこと・できなかったこと

大学卒業直前の2011年に、友人とプログラミングの情報共有サービスQiitaを作りました。自分で初めてゼロから作ったサービスが、今や会員数75万人、月間PV4000万以上と日本有数のエンジニア向けサービスに成長しました。また事業としても、ある程度の規模になりました(開示情報ではFY2019に売上2.7億円、営業利益5500万円でした)。今の規模やエンジニア内での知名度に、「嬉しいな」「思い切って会社にしてよかった」と思っています。

運営中、「いつもサービス使ってます!」「順調そうですね!」と言われながらも、実は僕には苦しみや葛藤がありました。

学生からすぐに社長になったせいか、社長としてどう振る舞えばいいのかわかりませんでした。みんなのことを考えて一生懸命やっているつもりでも、「社長は何もわかっていない」「人間性を疑う」と言われてしまう。サービスは伸びているのに社員が辞めていく。できる限り言葉を尽くしても、伝わっている気がしない。

「社長としてこうあるべき」「いい会社にするために、こうしよう」は頭にある。でもそれをやりきれない。やってもよくならない。問題があるのはわかっていても、どうしたらよいかわからない。うまくできないことばかりで、それが頭から離れない。眠れない日々、感情が不安定な時期もありました。また、生活面でも「夫や父親としてこうあるべき、こうすべき」と考えていました。頑張ってやろうとしてもうまくいかず、よく落ち込んでいました。思い出すと今でも心臓にずしっと重さを感じます。

エイチームのグループに入ったのは、事業を成長させるためでした。エイチームの多くの人が助けてくれたおかげで、事業的な問題が解決し、楽になりました。しかし個人的な悩みや辛さは解消できず、このまま続けていくのは難しいと考え、2019年末に退任することにしました。

離れてからも、また何かしらサービスを作りたいと思っていました。2020年4月に、習慣作りを支援するCoachatを設立。過去、しんどい時も体を動かすと気分が晴れて前向きになれたので、そうした体験を支援するサービスを作りたい。具体的なサービスの形はよく見えないけれど、動き出したいという気持ちでした。習慣や健康について調べる中、ウェルビーイングという概念を知り、「やりたいのはここだ!」と感じて探索し始めました。

ただ、なかなか「これだ」と感じられるサービスを作れず悩んでいました。仕事について考えるうちに、「そもそもどう生きたいんだろう」というテーマでも悩み始めました(ミドルライフクライシスというものだったのかもしれません)。これが2022年の2月ぐらいです。当時のノートには「しんどい1日だった。生きる目的を作ろうともがいている感じがある。溺れないように頑張っているような」と書いてあります。読み返すと「ひとりで閉じこもって考えすぎだ、何かしら動けばいい」と声をかけたくなりますが、当時は信じられる正解のようなものを見つけようともがいていました。

そんな時期、あるきっかけで日々の見方が広がり、少しずつよい状態になっていきました。本当によかった。最近は自分のできなさを笑うこともありつつ、楽しく前向きに生き、仕事をしています。今後もしんどい時期はおそらく来るけれども、今の僕ならそれを味わったり人を頼ったりしながら進んでいけるはず。

さらけ出すようで恥ずかしさもありますが、こんな道のりで今の僕になりました。


変化のきっかけ

2022年の2月、ひとりで悩んでいる時。仕事仲間から「何か参考になるんじゃない?」と言われ、即興芝居(インプロ)の動画と本を教えてもらいました。

■台本なしの即興芝居。Papersは落ちている紙を拾い、そこに書かれた言葉をセリフとして挟むやり方

■インプロの解説書

彼女にはQiitaの時の経験や考えてきたことをじっくり聞いてもらっていました。絶妙な提案でした。

動画を見て「おもしろい!」と思ったのは、「失敗っぽいものが失敗になっていないこと」です。ある言い間違いが拾われてネタになっている。Papersというルールの中、シーンに合わないセリフでもなんとかつなげて話を進めている。台本通りスムーズに進めることは目指していない。演者も観客も、誰も先行きを知らない中で一瞬一瞬シーンを作り続けていく。演じている人たちの、素で自由な感じに惹かれました。

そのあと、インプロの本『自由になるのは大変なのだ』を読み(タイトルがよい)、「表現」というキーワードが自分の中で広がり、魅力的に見えてきました。考える前にまず感じること。自分の感情を外へ向けて表現すること。人の表現を感じとること。それに応えること。これまで「いかに正しく」「いかにより(客観的に)よく」を目指し続けてきた僕にとって、新しい視点でした。

本を読んでから、日常が少し変わりました。人と話す時、「これは2人で一緒に作り上げる即興の場だ!」と思うと楽しく話せるようになりました。

こうしたある種の実践を通じてインプロへの興味が高まっていた時、パフォーマンス集団「ロクディム」の渡さんによるインプロワークショップを知りました。

ロクディムのみなさん。左から2人目の、両手を広げているのが渡さん

芝居をやったことも、やると想像したこともない。人前で演じるなんて恥ずかしいし、できるかわからない。でも自分を即興で表現することや、正しい・正しくないとは違う価値観の世界にはなぜか惹かれる。人と一緒に過ごす場をもっと楽しくしたい。そんなことを考え、思い切って申し込みました。


勇気を出してインプロワークショップに参加してみた

1回目はオンラインのワークショップに参加しました。参加前は「僕以外の全員が芝居経験者だったらどうしよう」「何かを演じるなんて本当にできるんだろうか」「緊張して何も話せなくなるかも」など、不安と緊張を強く感じていました。参加してみると全くの杞憂。緊張以上に楽しさにあふれる場でした。

ワークショップではすぐに即興で何かを演じるのではなく、連想ゲームなど、いくつかの単純なルールのゲームをやります。即興に向けたウォーミングアップのようなもの。何を連想するかに正解も良し悪しもない。自分の言葉を相手がしっかり受けとめて、何かを返してくれる。気づくと緊張は解け、楽しく頭を動かしていました。

ゲームをやるたびに振り返りをします。その目的が、「よりうまくやるため」「ダメ出しするため」ではないのが意外でした。個人としてどう感じたか、何がおもしろかったかなどの感情の動きを丁寧に振り返り、人に話し、聞いてもらう。連想ゲームで言われた「やおっちさんの言葉は情景の浮かぶものが多くて、一緒にやっていて広がりを感じました」という感想が嬉しく、いまだに僕の中に残っています。そのあと実際にやった即興芝居では、「余裕はないし、うまくはできてないんだろうけど、なんか楽しい!」と感じました。仕事や肩書きをお互い知らず、気にもせず、ただ一緒に遊んで楽しむ空間が心地よく、終わってからもしばらくテンションが高いままでした。

2回目は対面ワークショップに参加しました。対面では体を使ったワークが多かったです。2人で割り箸を指で支えて落とさないようにしつつ、積極的に動いたり。背中を合わせて座った状態から、手を使わずに一緒に立ち上がったり。「ここで一緒に遊んでいる!」という感じが楽しかった。一方で、即興芝居では緊張してしまい、一緒に演じてくれた人に「(やおっちは)どうすれば楽しんでくれるんだろう」と困らせてしまいました。スムーズに進めよう、うまくやろうと緊張していた自分に気づきました。知らない人ばかりで緊張したけれども、人の存在を感じて応える時のドキドキワクワクした感じが格別でした。思い切って飛び込んでよかったです。


表現することへの気づき

ワークショップという非日常空間を体験してみると、日常の自分の癖や気質に気づきます。僕は学校の勉強や受験などを通じて、正解を見つけようとしたり定量的に良し悪しを判断しようとしたりする思考が頭にこびりついていました。今も気を抜くとそのモードになってしまいます。自分がどう感じているかよりも、客観的にみてよいかの思考が先にきます。

それに対して表現の世界では、つたなくても乏しくても悪くない。「自分なりに表現しきれたか?」や、インプロであれば「楽しめたか?」という感覚が基準になります。

表現が、表現する人とその表現を感受する人とで作られるのも、おもしろいです。相手の表現に影響を受けたり、相手に応える形で表現したり、その表現が連鎖したり。表現には正解がないからこそ、その人らしさが出てきます。表現に触れることで、相手との距離が縮まったような気持ちになります。

また、自分から表現していかないと相手も表現できない、正直な自分を出せないのだなとも感じています。誰かと話す時に、つい仕事の話に終始して、自分や相手の存在があまり出てこない、人の存在が感じられない情報交換で終わってしまいがちです。存在を出せるように自分の感想や悩みを話すと、相手も相手の感じを出してくれることがあります。そんなふうにお互いがいきいきと話している場は、カラフルだと思います。


Qiita時代に戻ったとしたら

今振り返ると、以前は自分の感じていることや悩みを人に話していませんでした。自分がどう感じているか、何が好きかは二の次。常に「何が正しいか」「どうすればもっと伸びるのか」「どう課題を解決するか」というふうに、自分と切り離して考え、話していたように思います。仕事に感情や主観を持ち込むのはよくないという思い込みがありました。

代表として自分なりに「こうあるべき」「これがよい」と判断して進めながらも、自分の根っこにある違和感や願望には目を向けていませんでした。行動と感情がズレたまま過ごし続けたせいで、しんどくなったのかもしれません。

「こうすべき」「こうあるべき」は、仕事だけでなく生活にもありました。自分がどうしたいのか、どう感じているかは横に置いて、「父親として、夫としてこうせねば」と考えていた。それを達成しようとしてうまくいかない。できない自分を「努力が足りない」「父親としてダメだ」と繰り返し否定していました。

もしあの頃に戻ったとしたら。まず自分の感じていることへ目を向け、感じとり、それを人に伝えます。周りの人が感じていることへ関心を向け、感じようとします。そのうえで何をするかを決めます。違和感を見逃さず、紐解き、解消を試みます。ネガティブな側面に集中しすぎず、喜びや楽しみも大切にします。こんなふうに過ごしていたら、無理なく毎日を送れていたのかなと思います。周りの人との関係も違っていたのかも。


いま心がけていること、変わったと思うこと

自分や相手の感じていることへ目を向け、伝える

人と話している時、これまでは話の内容だけにセンサーを集中させていました。話の意味を理解することや、思い浮かんだアイデアをまとめることにエネルギーを使っていました。相手がどんな表情や身振り、感情を持って話しているかに鈍感でした。情報収集的な聞き方だったなと思います。

自分が話す時は、自分が何を感じているかは気にせず、ただ情報を伝える感じでした。何か感情が湧き上がっても、それを口に出すことはしませんでした。心を切り離して頭だけで話していた、というか。

最近は「楽しそうに話しているな」「話と表情にギャップがあるな」というふうに、相手の感じていることを感じとろう、受けとめようとしています(とはいえ、つい内容に集中することも多いですが)。

自分が話している時も、体の奥底でどう感じているかをとらえ、それを表現しようとしています。相手の話を聞いて嬉しいと思ったら、率直に「嬉しいです!」と口に出すなど。そうし始めて、自分に感情を表す語彙が少ないことに愕然としました。

また、自分の感じたことと、それを伝える言葉をできるだけ一致させる努力もしています。伝えたいことと選んだ言葉がぴったり合っているか、もっとうまく表現できないか。そのため、以前はスラスラ話す人間でしたが、最近はゆっくり話すようになりました。自分の中にある感覚を探ったり、言葉を取捨選択するために少し黙ったりすることが増えています。言い換えると、昔は言葉を軽く使っていました。振り返ると恥ずかしいです。

自分から踏み込んで話してみる

つい受身になりやすいので、僕から自分の話(悩み、エピソードなど)や感じたことを話すように心がけています。自分から話して場を動かす時は緊張するし、「鬱陶しがられないかな」といった怖さがあります。でも、ほとんどの場合は自分から動いてみることで話が広がり、楽しい場になる。怖さは消えないかもしれないけれど、挑戦し続けたいことです。

「今、楽しめてる?ワクワクしてる?」

仕事でも生活でも、毎日をつい「やるべきこと」で埋め尽くしてしまいます。やりたかったはずの取り組みが義務のように感じられることも。そんな時に「そもそもなぜこれをやるのか」「どう考えたり取り組み方を変えたりすれば楽しくできるか」を考えるようにしています。「やるべきだからやる」ではなく、意味づけや環境を工夫して、楽しく元気に取り組めるように。

たとえば「発散的に考えを広げたい時はあのビールバーで軽く飲みながら」「週の振り返りはあのカフェでコーヒーを飲みつつ」など、自分が楽しく精一杯取り組める場所やアイテムを作っています。そうするとエネルギーが湧いてくるし、いいスイッチの切り替えにもなります。

自分が楽しく心地よくやれるようにするのは、自分のために生活や仕事をUXデザインするとも言えます。そのデザインは最初の案が正しいとは限らない(あまりない)ので、試して改善しての繰り返しで作られていきます。そうやって作り上げる過程も楽しいです。

結果として:生活も仕事も楽しく、体調がよい

「自分はどう感じているだろう」「感じていることを伝えよう」「相手の感じていることも知ろう」「楽しむためにどうすればよいだろう」を生活や仕事の区別なく意識しだすと、日常から無理が減ってきました。「こうすべき」「こうあるべき」といった義務感ではなく、やりたい気持ちを活用して自分をうまく動かしている感覚です。悩みやネガティブな感情、不調の日はあるものの、総じて体調はよいです。


自分で企画したワークショップ

インプロや表現するという視点から、生活と仕事(つまり人生)にこんな大きな変化が起きました。「他にも必要とする人がいるのでは?」「知り合いと一緒にやってみたい!」という気持ちから渡さんをお呼びし、京都でワークショップを開催しました。会場はコワーキングスペースのQUESTIONをお借りしました。


1階にバーのあるおしゃれな場所
僕の仕事場

参加者の半数以上がインプロも芝居も初めてで、楽しんでもらえるか不安だったのですが、終始笑いの絶えない場になりました。

連想しないゲーム。ひとりが、関連しない言葉を10個連続で言う。関連している言葉を言ったり、詰まったりしたら、座っている3人が「ブー」と指摘してやりなおし。手前で笑ってひっくり返っているのが僕
連想しないゲームで10個クリアしたところ。すごい!
出張先の広島で商談がうまくいった2人。先輩おすすめの広島焼きのお店にタクシーで移動している、というシーン
Papersのルールで、渡さんと2人即興。友達同士で釣りに来ている設定。渡さんの奥さんが左の人に毎週スーパーで会い、不穏な言葉をかけてくるという話。おもしろかった笑
4時間のワークショップを終えて集合写真。みんな、いい笑顔!

主催者としては、とにかくみんなが楽しんでくれてよかったです。インプロを全く知らずに参加したにもかかわらず、涙が出るほど笑って楽しんでくれた人もいました。嬉しい。こんなにドキドキワクワクし、ただ純粋に楽しさを感じ尽くした時間は久しぶりでした。

個人としては、「もっと自分から踏み込んでいけたらさらに楽しめそう」「感情のエネルギーが強い人と向き合うと、こちらも自然と高まり表に出せるんだなあ」という発見がありました。どちらもインプロに限らず、日常でも挑戦していきたいポイントです。

参加者からは、「楽しい夜でしたねー!」「頭使い過ぎてアイスノンで冷やして寝ました笑。楽しかったすねぇ」「笑い死にしそうなぐらい楽しく、学びが多かったです!」「最初は緊張していたけれど、途中からは初対面感なく楽しめました」という感想をもらいました。インプロは初めてでも楽しめます。今は次の開催に向けて、QUESTIONの方と相談しています。


これからのこと

Qiita時代もそのあとも、順調なように感じる側面がありながらも、もがいていました。そんな中でインプロに出会い、「感じとる」「表現する」「楽しむ」といった要素が僕にとって必要なのだと気づきました。

これまで無視していた自分の感覚や感情を知って味わおうと、インプロ以外にも探索を広げています。スカイダイビングに行ったり、絵を描いたり、久しぶりに小説を読んだり、感じたことをノートに書いて人に話したり。

2022年9月現在、Coachatはサービスを停止しています。今の僕のやりたいことや学びを反映したものになるよう、作りなおしています。昔の僕のような、「こうあるべき」に合わせようとしてしんどい人にとっても、毎日が過ごしやすくなるサービスを作りたい。そのために、まず作り手の自分を広げようとしているので、時間がかかっています。すぐに作って人へ届けたいというもどかしさを感じながらも、立ち止まって心と目を動かす時間が、いいサービスにつながると信じて取り組んでいます。即興芝居と同じで台本はなく、先はわかりませんが、感覚や感情、表現も大事に楽しみながら進んでいきます。


今回インプロをご一緒した人たち

その他

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