見出し画像

変化し、ほつれ、切られる事なくまた絡まる人間関係

 人の考え方は日々変化し、その上で1人1人違う考え方を持っている。つまり常にめまぐるしく全ての人々は変化し続けて、その中で僕たちが複雑に絡み合って生きている訳です。昨日元気だった人が、急に病む事だってあります。まあ僕なんですが。
 その複雑に絡んだ関係ですが、複雑過ぎて時にはほつれてしまいます。ほつれてしまうとどうなるか、ハサミで切る必要があります。その時に何が起こるかなんて想像に難くないでしょう。どちらか、もしくはどちらも傷ついてしまう。

 そのほつれた関係、ハサミで切ってしまえば楽なのですが、切ってしまえば確実に傷つく。なら放置してしまいましょう。ですがそれは逆に今度は自分が苦しくなる。先ほども言ったように人は変化し続ける。変化の過程で自分を邪魔と思ってしまえばハサミで切られてしまうかもしれない。他人はそれを、いともたやすく行ってしまう可能性がある。

 僕は現在高校生で、そんな人間関係に常に悩まされながら生きている。高校生活において人間関係なんて切れない。どんなに苦しかろうと辛かろうと頑張らないといけない。ほつれている関係も、相手からしてみればほつれていないのかもしれない。その『相手から見たら』を考えて生きなければならない。
 当然逆に、僕から見てほつれていない関係も、相手側からすればほつれていて、本当は切りたいのに僕が邪魔で切れない可能性だってある。そんな刹那の見切りくらいシビアな関係に、僕らは立たされている。

 これをどうすればイイか。そんな事簡単です。『考えなければ良い』これに尽きる。思考停止して、目の前の事を精一杯にすれば良い。少なくとも僕くらいの年齢の人ならそれで十分だと思う。そりゃ社会人はある程度先の見通しを持って行動する事は大事だとは思います。
 考えなければ良い、と言っても相手の気持ちを考えるな、という話では無いです。道徳的にやったらいけない事は当然やったらダメですし、犯罪行為はもっとダメ。言いたい事は、『相手の気持ちを深く考えすぎない』って事。

 相手の気持ちなんていくら考えても僕らの中に心を読める超能力者なんて99.9999…%いないので、考えるだけ極論無駄です。そんな考えても無駄な事に脳のリソースを割くくらいなら、もっと自分の事に回したほうが効率的にも、自分の心にも良い。
 深く考えるのが必要な場合もありますが、その時はその時に考えれば良いと思う。常に「この人はこんな事を言っていたから、僕にこうゆう感情を持っているんじゃないか…?」とかそんな事考える必要なんて無い。僕の経験談です。無駄に考えていたけど、実際は(本当かどうかは分からないけど)考えていた事よりも単純だった、なんて事が何度も何度もあった。

 まあ考え続ける事も、慎重に動けるので良い事もあるのですが、少なくとも僕は先述のデメリットの方が辛くてしかたなかった。なので出来るだけ考えないで生きる、っていう事をやってはみたい。まあもうこれを書いてる時点で難しいのですがね。これを忘れない限りはこの無駄な考えがこびりついているので、忘れるまでは実践しているようで実践していない状態にある。
 そしてこれを見た人で、これを実践しようとする人も同じです。僕らはこれを書いて、見た時点で『実践するんだ…!!!』って思いがこびりついて思考を停止出来ない。残念ですね。僕らは同じ運命をたどる事になります。

 まあ、別に深く考えてしまうのも悪いことばかりでは無い(はず)なので、頑張って生きていきましょう。変化してほつれて絡まった人間関係から抜け出せるように。

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?