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【日本を知ると自分のことが好きになる】〜最速・最強の自己肯定感を高め方〜⑤

いい国(1192)作ろう鎌倉幕府と、長らく覚えてきました。
ところが、今はいい箱(1185)作ろう鎌倉幕府になっているのです。

幕府の定義が変わった

鎌倉幕府の成立が1185年に変わった理由。

1192年は、あくまで源頼朝が征夷大将軍になった年で、実際に鎌倉を統治し始めたのは1185年だから1185年に幕府が成立したと考えるべき、というもの。

その裏には、幕府の定義が変わったという事情があります。

幕府とは、将軍が遠征先で陣を作る時に、四方に幕を貼った陣営のことをいいます。つまり、将軍が陣を張る場所を幕府と呼んだのです。

その定義は、今も変わってはいません。変わったのは、歴史学者たちによる解釈。

幕府の定義は、元々チャイナの考え方。だから、その考え方に捉われずに頼朝が鎌倉で実権を握った年を鎌倉幕府の始まりと考えるべきだというわけです。

征夷大将軍は天皇の部下

一見、合理的な説ですが、日本の国柄から考えると違和感を覚えます。

なぜなら、征夷大将軍は、天皇から任命されて初めてなれるものだからです。

「天下取ったから、俺、今日から将軍ね」
などというわけにはいかないのです。

天皇が、政治のトップとして実権を委任する。将軍は、あくまでも、天皇から政治だけを任せられる立場でしかない。

ちなみに、将軍より関白の方が位は上です。関白は、天皇を補佐することができますが、将軍にはできません。

そこには、ハッキリとした上下の差があるのです。このあたりは、国から県、県から市に権限が移譲されるのと似ています。

だから、「秀吉は将軍になれなかったから、家康のほうが偉いのだ」というのは間違いなのです。

天皇から委任された将軍だけが幕府を開ける

天皇が、征夷大将軍に任命するとは、幕府を開く権利を与えることと同じ。

源頼朝が、天皇から征夷大将軍に任命されたのは1192年。

1192年にならなければ、頼朝は、鎌倉幕府を名乗る権利がなかったのです。これが、鎌倉幕府の成立が、1192年でなければならない理由です。

各省の大臣は国会議員でなくてもなれますが、内閣総理大臣は、国会議員でなければならない。政治のトップは、国民からの信任を得ていなければならないからです。

選挙のなかったこの時代、国民からの信任を得る方法はありません。だから、天皇からの信任がなければ政治を行うことは出来なかったのです。


日本の国柄を守ろう!

日本は、人類史上の奇蹟の国です。

それは、天皇と国民の間の愛と信頼の上に成立して国家経営がなされている唯一の国だから。

王が権力によって領土を支配し、領民を私有物として酷使した国しかなかった西洋やチャイナとは違うのです。

日本において、国民は、天皇にとって大御宝(おおみたから)
天皇は、ご自分の命に変えても大御宝を守ろうとされてきた。これが日本の国柄です。

将軍は、天皇に代わって政治の面で大御宝を守る役割を担ってきた。

鎌倉幕府成立の年を変えるということは、日本の国柄からを否定する動きのように感じてなりません。

日本は、世界唯一のしらす国。

「国を以って家となす」という、神武天皇の建国の志をずっと受け継いできた歴史を、子孫にも伝えていきたいですね。

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