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かっこよさとは何か。

昨日、友人から急に連絡があり、進路に悩んでいるらしく。あまりそのような連絡は来ない人望のない私なので、

いろいろ考えたわけだが、「かっこよさとは何か」、書いてみようと思った。



■初めに、思い出話をふたつほど。



①小学生の頃からずっと、読んだことはないけれども頭から離れない本が、家の本棚にあった。それは、齋藤孝の「カッコよく生きてみないか!」というタイトルで、そのタイトルの響きに強く惹かれている。

②また、中学1年生の時に、部活の遠征に行ったときの監督の口癖が、「ダサいな~。」だったことも記憶に残っていて、その監督は「かっこいい人になれ」というメッセージを中学生の我々に伝えていたんだと、今思えば感謝している。知名コーチ、ありがとう。

と、こんな感じで、
男子というのは、"かっこよく"なりたい生き物である。

ただ、それが案外難しくて、かっこよくなりたいんだけど、何がかっこいいかわからないし。


■かっこよさとは、陣取り合戦である

 
 急だけど、タイトルの問いに答えるとしたら、このようになる。
「かっこよさとは、陣取り合戦である」

 かっこよさとはなんですか、という問いに答えようとしたときに、もうひとつ浮かぶ答えがあって。それは「強くて優しいこと」だと思うけれども、今回はそれよりもア・ポステリオリ(後天的)に叶えられる"かっこよさ"について書きたいと思っていて。

 「陣取り合戦」っていうのはどういうことかというと、これがかっこいいよ!と表現をして、それをもって周囲を共感させる行為が大切で。みんなが共感するかしないか、そこが陣取り合戦ということを言っていて。

この、「かっこよさとは、陣取り合戦である」という言葉は実は自分の言葉ではありません。引用元は下に貼った動画です。

 「第三滑走路」という短歌のグループがあるんだけど、この動画の22分10秒あたりに出てくる言葉が、本当にそうだなと思える。

「どれがかっこいいと思いますかみんなは。というのの陣取り合戦をしているわけで。」(第三滑走路 森慎太郎)

これすごい良い言葉でさ。かっこよさにきちんとした定義はなくて、"それは陣取り合戦なんだ"と言葉にした功績は大きい。


これと少し似た話で興味深いスピーチがあって。モデルのキャメロン・ラッセルさんが話しているいい指摘があったので紹介する。↓

「私がモデルになれた真の理由は、偉大な伝承物をうけとったからです。受け継がれた伝承物は何かというと_。 この数世紀の間、私たちの定義する美しさは、単に健康 若さ 均整といった生物学的に称賛するよう仕込まれてきた要素だけでなく、長身で すらっとした体型 女性らしさや白い肌なども 含むようになりました。このように、私に都合良く受け継がれて来たものを使って稼いでいるわけです。」


 以前大学の後輩が、「建築の"良さ"みたいなものがわからなくなってきた」というようなことをインスタで投稿していたことがあり、その時、すぐにこのキャメロン・ラッセルの動画を送った記憶がある。

 ただ、このスピーチで言っていることは何も特別なことではなくてあたりまえのことではあるけれども、
 気に入っているのはその、「健康・若さ・均整」という言葉を用いて生物学的な美についても言及している点であって、ただ単に「美人の基準は作られたものなのよ」といった発言とは、その点で一線を画すものであった。

■小結


 ここまで2つの言葉を引用してきて、段階的にかっこよさとは何かということに少し迫れたように思える。
 かっこよさというのは絶対的なものではなくて、時代によって揺れ動くものである。そうして、その"揺れ動き"そのものが、陣取り合戦の様子を示し、陣取り合戦そのものであり、そこが我々のバトルゾーン(デュエルマスターズ語録)なのであった。

我々はまず「キャメロン・ラッセル」によって、1つ目の気付きを得る。
_かっこよさの基準は作られたものである。

次に我々は、「第三滑走路」によって2つ目の気付きを得る。
_かっこよさとは、陣取り合戦である。


■隣の芝生は青く見える


隣の芝はいつだって青く見えるけれども、もう大丈夫でしょう。
やり続けるしかないんだよねえ。周りを見て羨ましくなったり自分を卑下することはたまにはあるかもしれないけれど、陣取り合戦でそれは白旗そのものでしょう。

あたりまえ、これは自分自身に言い聞かせていると言えるのだけども、良い言葉があってね。

「負けても楽しそうな人には、ずっと勝てない。」

いやー。いいね。


■いとこをとめなかった理由


 小学生の時からソフトテニスをしていて、高校までがっつりやったあとの大学生の時分、
 いとこから連絡がきた。
 その時分いとこは高校1年生か2年生であり、いとこもまた、ソフトテニスを小学生のときから続けていた。

 いとこからの電話に出ると、ソフトテニス部をやめて陸上部に入りたいという。電話してきた時点でやめる意思は決まっていて、母親(私からすると叔母)に相談したのちに、電話をしてきたという話であった。
 
 実は電話がくるまえから噂だけは聞いていて、話を聞いた瞬間からとめようとは思わなくて、「面白いかもしれない」という感想が先に来ていたのであった。

 全くとめる気はなかったので、「いいんじゃない。がんばれよ!」という感じで、陸上部に入るなら本気で取り組んでね、ということで話は終わった。
 そのときには自分はもう大学生だったし、ソフトテニス部、陸上部、その選択肢のどちらを選んでも、そのとき後悔しても絶対あとから挽回できるという思いがあった。そして、何があっても最終的には幸せになれる人格を持っている彼だから大丈夫なのであった。
 いとこというのは家族で、家族だからこそ信じている。


かっこよさとは、陣取り合戦である。
周りに振り向かせることができれば我々の勝ちである。

いま、好きなひとがいます。


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