忙しいぜ俺症候群

残念なお知らせなんだけど、おいらは忙しい。
きっと、これを読もうと思った貴方も忙しい。

そんな忙しい中、わざわざ読んでくれて本当に有難うございます。

いや、こんな謝辞を書きたくて筆をとったわけではない。
忙しい、忙しい。あー忙しい。
そんな貴方は(僕も含めて)、この病魔に蝕まれている。

忙しいぜ俺症候群だ。
すてきなレディーな貴女は忙しいぜ私症候群でも良い。

症状はいたってシンプルだ、

口癖が「忙しい」
常に忙しそうにしている
暇になると耐えられない、暇なんて感覚はもうとっくに忘れてしまった

という感じだろう。

いやぁ、実際に忙しいのだから仕方がないじゃないか?
うん、そう思う。実際に、僕もとても忙しい。
多分、普通の人よりは随分忙しい。

4足のわらじを時には、5や6ものわらじを履いているからだ。

なんとかやっている、実はそれが現実解なんだと思う。
忙しい人は忙しくあることがきっと好きだ。

急にポンと隙間時間が出来ちゃったりすると、何とかして、懸命に、徹頭徹尾なまでに仕事をするという口実でそこを埋めにかかる。

正直に言おう、この病を根治させることなんて不可能だ。
だって、半分以上は性格だしね。でも、病状を緩和させることはできるだろう。病シリーズを始めてから、初めて匙を投げることになってしまうが……

無いものは無い、どうしようもない、無い袖なんてふれないのだ。

対処療法的に、でも絶大な余裕を産む方法を書き記しておこう。処方箋の代わりにせめてもの足掻きとして……。

僕は、とあることを心の中で叫ぶようにしている。これは、自分のマックスまで募ったイライラを現実社会に落とし込まないようにするための防衛策でもある。心の中の声を全部言語化したら、もういたるところで常に戦争である。完膚なきまでに戦争である。まぁ、その闇にはそのうち触れるとして……。

リフレーズするって言葉がある。英語で文章書いたり、ちょっと英会話のクラスに通ったりした事があるんだったら聞いた事があると思う。知らなくても大丈夫、要するに言葉を置き換えろってことだ。rephrase。フレーズをやりなおすんだから、書き換えたり・置き換えたりするってことだ。

例えば、

エレベータのドアが目の前で閉まってしまった。きっと、僕は認識されているだろうがそのドアは二度と開くことは無かった……。

なんか、詩的な情景を思い浮かべるが、そんな時に。

「マジ意味わからないんですけど??閉めるとか、ありえなくね?」

と思っている心を、一旦全力で叫んだ後にリフレーズすることにてる。

「次に乗ればいいさ、何分も変わることはないだろう?」

って。こんなに男前な変換はしないが、要するにそこで損した数十秒でお前の世界の何が変わるのだ?という事を言い聞かせている。じゃないと、エレベータが自分に認識されている間に僕の頭は悪意と憎悪に占拠されてしまう。「そんな事で怒るなよ!」と思うだろうが、忙しい人は往々にしてせっかちだし、気が短いものだ。とんでもない量の判断を迫られる生活をしていると、脳が多分そういう感じでチューニングされる、そんでもって、そういう人格が勝手に形成されるんだと思う。知らんけど。

で、実はこのリフレーズがこの病魔の症状を緩和するのにすごく適している。この一瞬の優しい気持ちが、心から棘を抜いて、無駄な修飾語や不毛な争いを避ける効果が結構ある。要するに、心が整うわけだな。

こういう類の人は、多分、無数にネガティブな感情に苛まれながらも、もがき苦しみながらも、ポジティブな結論に向けて邁進している。だから、ネガティブな事にとっても耐性があるわけだが、薬を投与し続けると、だんだん効かなくなるのと同じで、ネガティブ抗体が己の中に出来ているんだと思う。だから、そんなもん治せないわ!と匙を投げたんだが、このネガティブ抗体を少しずつ破壊していく事が、4連鎖を立て続けにくらった後の、おじゃまぷよの溜まりっぷりの絶望感に対処できる方法なんだと思っている。

こっちの火力は、良くても、ぷよぷよ6個ぐらい消したみたいなもんなんだろうけどね……。

もうちょっと例示しておこうか。

例1: 目の前で電車のドアが閉まってしまった時

「あー、電車のドアが閉まっちまった……、悲しい。」
→「別に次に乗れば良いよ、待っている間にもう一章読んじゃおう!!」

例2: 「ごめん、ちょっと遅れる」と友だちと待ち合わせで言われた時

「ちょっと、俺の時間返せよ。ってか、もっと早く言えよ……!!」
→「お、時間が出来たから、近くの美味しい店探してみるか」

それでも、試す価値はあると思っている。

あー、今、俺、忙しいなぁ……。

と思う瞬間があるのであれば、是非、試してみてほしい。

一刻一秒を争う事態なんて、人生の中に殆ど無い。

そういう凶悪なパンクチュアルさを求められる時には、そもそも人は普通に備えている。前泊したり、その場に泊まり込んだり。

自分の中に作った虚像としての忙しさを緩和させるには、自分を赦すしかない、何ならそこに巻き込まれている他人も赦すしかない。そうじゃないと、常に誰かが、永遠に悪者になってしまう。忙しいのは大変だ、何なら可哀想だとも思う。でも、忙しいからといって、自分の心の中の悪魔の囁きのままに生きているとロクなことにはならない。だから、忙しいと事実で自己を肯定するのではなく、自分の中の天使の声に従ったほうが良い。

別に宗教家でもなんでもないが、己の天使と会話する方法がリフレーズなんだと僕は思っている。










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