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私が歩き遍路と化した瞬間

 私が歩き遍路を始めたきっかけは、お土産にもらったこの手ぬぐい。

 同じ職場のベテラン相談員(女性)がバスで2回に分けてお遍路した1回目に行ったとき、お土産にもらった。

 そのベテラン相談員からはその前にも立山黒部アルペンルートに行ったときに、剱立山連峰の手ぬぐいをお土産にもらって、そのあと私は残雪期の立山に登り、続けて夏に立山から薬師岳まで縦走した。

 もともと行きたいと思っていたところがあって、そこのお土産に手ぬぐいをもらうと、自動的にそこに行くというところが私にはある。

 四国八十八ヶ所の手ぬぐいをもらったとき、ベテラン相談員に「次はyasaiさんぜひ行ってください」と言われ、私が行くとしたら歩きだなと思った。

 翌年のゴールデンウィークに私は残雪の北アルプスではなく、四国の山に行こうと思い立ち、四国(西日本)最高峰の石鎚山に登ろうと、いつもの山の装備に加えて、山頂付近に雪が残っているときに備えチェーンスパイクもバックパックに詰め込んで四国へ向かった。

 私にとって初めての四国。

 松山空港から松山市内にあるアウトドアショップ パルフィールドに寄ってSotoのガスカートリッジ(危険物なので飛行機に乗せられない)を入手し、松山駅からそのままバスで久万高原に直行。

 石鎚山に登る前にお遍路の体験的なことをしてみようかと思い、バックパックにはネット通販で買った白衣(びゃくえ)と輪袈裟(わげさ)も入れてあった。

 久万高原でバスを降りると、私は右も左もわからず、とりあえず白衣を着てみようと、通りかかったお堂の石段にバックパックを下ろして、新品の白衣に袖を通した。

 白衣を着て首から輪袈裟をかけ、山用のバックパックに山用の靴、Columbiaの緑のハットをかぶり、菅笠も杖もなし。気恥ずかしげななんちゃってお遍路が歩き始めるとすぐ、向こうから来た車の窓が開き、乗っていた男性が「ご苦労さま」と声をかけてくれた。

 中身がなんちゃってお遍路であっても、まわりから見たら私はお遍路なんだ!!

 その瞬間私は歩き遍路と化し、44番札所大宝寺を打ち終えると、石鎚山には登らず、あたり前のように45番札所岩屋寺へと歩き始めた。そして今も歩き続けている。

 私はきっと、私が歩き遍路と化した瞬間のことを死ぬまで忘れないだろうと思う。

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