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古事記に学ぶ「同意性交」のあり方 from 野菜さらだのライブエッセイ

今回は,蔵出しではなく「今出し」エッセイです。書いたばかりのほやほやを「ライブエッセイ」として放出していきます。今日のテーマは,古事記と同意性交。先日成立した刑法改正の「不同意性交等」というキーワードを受けての一本です。古事記恐るべし!

■「不同意性交等」の本質は,相手の意向を尊重するというコミュニケーションのあり方

令和6年6月16日,それまでの「強制性交等」が「不同意性交等」と改められる刑法の改正がありました。
https://atombengo.com/column/27279

条文はこのようになっています。

「第一条 刑法(明治四十年法律第四十五号)の一部を次のように改正する。

  目次中「強制性交等」を「不同意性交等」に改める。」

この理由は以下のように述べられています。

理由:
近年における性犯罪をめぐる状況に鑑み、この種の犯罪に適切に対処するため、強制わいせつ罪及び準強制わいせつ罪並びに強制性交等罪及び準強制性交等罪をそれぞれ統合し、それらの構成要件を改めて不同意わいせつ罪及び不同意性交等罪とするとともに、十三歳以上十六歳未満の者にわいせつな行為又は性交等をした当該者より五歳以上年長の者に対する不同意わいせつ罪又は不同意性交等罪としての処罰を可能とする等の処罰規定の整備を行い、あわせて、性犯罪について公訴時効の期間を延長する等の刑事訴訟法の規定の整備を行う必要がある。これが、この法律案を提出する理由である。

以上の条文・理由の出典
https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_gian.nsf/html/gian/honbun/houan/g21109058.htm

刑法改正などを詳しく見たこともない私ですが,今回の改正についてはメディアでも取り上げられNHKクローズアップ現代でも特集が組まれるなど,世間の大きな関心を集めているのは事実です。

改めて,「不同意性交等」について読み聞きして私が理解したことは

これは,性交だけではなく,様々な場面で「不同意のまま相手の意向に従う」ということをなくしていこうというのがその本質,つまりは「コミュニケーションのあり方への問題提起」ではないかということでした。

例えば,本当は自分の意には沿わないけれども「相手に嫌われたくないから・・・」と無理矢理相手の趣味やアイデア・提案に「Yes」と言ってしまうことというのは誰にでもあることかと思います。

また,相手は「強制なんかしてないよ」というような場面でも,忖度文化の日本では「相手はこうしてもらいたいんじゃないかと察して動く」というこのスタイルも不同意のまま何かをするということを促進しやすい環境ではないかと推察されます。

こういう場合に,提案する側は「僕は(私は)~~ということをしたいんだけれど,どう? あ,Noでも全然OKだよ!」という具合に「相手が,Noと言える余裕・隙間」を担保して,提案するという方法が取れるかどうかかと思います。

このように書けば「そんなの簡単じゃーん」と思うかもしれませんが,これはコミュニケーションとしてはかなり高度なもので,実際に,このスタイルでやりとりしているかどうか,まずは身近なところで観察してみると良いでしょう。

そして何より大事なことは,自分が提案したことに相手がNoと意思表明したときに,怒ったり,嫌味を言ったりしないで,「あ,そうなんだ,じゃ,またのときに!」と明るく応答できることなのですよね。

相手の同意は聞いてますよ,という場合においても何か提案しているということは,やはり提案している側はその通りになって欲しい(からこそ提案している訳です)ので,それが「叶わなかったとき」つまり「相手はNo」と意思表明したときには,どうしてもネガティブな感情が沸き起こりやすいということが,私の専門とする行動分析学の分野ではわかっています。

ですので,相手がNoと言ってきたときに,たとえネガティブな感情が起きても「あー,残念だったなー,相手に受け入れられなかったけど,ま,仕方がないかー」とその自分のネガティブな感情を相手にぶつけず(ぶつけると怒ったり,嫌味を言ったりになります),自分のところで留めるという練習が必須なのです。

このような自分の思考や感情を受け止める練習の一つが,マインドフルネスでもあります。筆者はより良いコミュニケーションのためには,自分の思考や感情に振り回されずに行動する,言語化することが大事と考え,仲間と共に毎日,朝晩,10分マインドフルネスの練習をクラブハウスと言う音声SNSで行っています。(どなたでも参加可能です!)

■古事記の最初の性交場面の描写を観てみましょう。

そんなことを考えていたちょうどのタイミングで,全く別の文脈で「古事記」の解説本を読んだり,それを解説するYoutubeを視聴したりしていました。

まずは以下の動画を見てみてください。(3分15秒辺りから)

古事記1~国生み~

https://www.youtube.com/watch?v=uUTSzdUfRqU

この動画は,古事記の最初の出だしを解説したものですが,古事記を読んだことがない私のような人でも知っている有名な「伊邪那岐命(以下,イザナギ)」と「伊邪那美(以下,イザナミ)」のお話が出てきます。

二人が交わることで,日本列島の様々な島を生んだというストーリーです。

そのときの最初の二人の会話をそのまま動画から抜粋します。

イザナギ「あなたの身体は,どんな風にできていますか」

イザナミ「わたくしの身体は,出来上がって,出来きらない所が一か所あり
                  ます」

イザナギ「それでは,私の身体は,出来上がって出来過ぎたところが一か所
                  ある。だから,私の出来過ぎたところをあなたの出来きらない所
                  にさして國を生み出そうと思うがどうだろう」

イザナミ「それがいいでしょう」

==以上,動画より引用==

そして,國づくりの行為が始まるのです。

「不同意性交等」のことなどは全く忘れて,それとは別なものとしてぼんやりと映像を見ていたその瞬間に「あれ!これこそが,日本で最初の同意性交のシーンではないか!」と一緒に見ていた家人と二人で驚いた訳です。

イザナギは「~~國を生み出そうと思うがどうだろう」と提案し,イザナミは「それがいいでしょう」と言葉で明確に同意しています。これが新しいと思った法律の根幹をなす,「相手の意向を尊重して同意を得る」というやりとりのお手本のような会話と言えましょう。

このような相手の意向を尊重したやりとりというのが,日本の古来のお作法としてまことしやかに描写されていることを知ったときに,なぜ,このような書物のことを私は―そして,多くの日本人は―今の今まで全く読まずに触れずに来ているのだろう?とむしろそちらを不思議に思ったほどです。

もちろん古事記にはこのようなゆったりとした会話ばかりではなく,血なまぐさいシーンも沢山ありますが,日本の歴史を知る,引いてはコミュニケーションのお作法を知るという視点から読み直す意味・意義は大いにありそうだと感じた次第です。

■Youtuberたちの努力

古事記を読んだことも見たこともない,という一般人への強い味方は,Youtuberたちの動画です。

特に,中田敦彦さんの古事記シリーズは最初のとっかかりには超お勧めです。

中田敦彦のYoutube大学「古事記①」

https://www.youtube.com/watch?v=n8PsdZZ44aI

全2時間に亘る壮大なストーリーを熱演(まさに熱演,その場に情景が見えるような中田さんの熱演ぶり!)は圧巻です。

3年前に公開された,上記の2023年6月の再生回数は838万回。

日本の成人人口(15~64歳)は,総務省統計局の令和4年の統計では7420万8千人ということですから,なんと,成人の1割以上の人がこの動画を見ているという訳です。

そこから100分で名著「古事記」を読み,さらに別のYoutubeで古事記を学ぶ,そんな感じで古事記に触れると「いきなり原文を読む」というハードルはかなり下がるかと思います。

100分で名著「古事記」(三浦佑之著)

今は勉強しようと思えば,いくらでも勉強できる本当に恵まれた時代でもあります。

私自身もまさか「古事記」が「不同意性交等」と結びつくとは思いもつかなかった,全く違う文脈の情報がクロスオーバーするのもこういう時代だからこそかもしれません。

#創作大賞2023


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