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バラと未熟な果実と少年少女

アングラや耽美を、簡単に表すとしたならこんなところだろうか。

美しさは若さや未熟さにあり、時間とともに失われる。

その尊い一瞬を尊び神聖化することだろうか。

耽美派というと、谷崎潤一郎の刺青などが印象的であるが、この文化は長くすたれることなく我々を魅了する。

近年映画化・舞台化したライチ✩光クラブは、古屋兎丸による漫画とされるが、さらに約30年前、1985年に上演された東京グランギニョルによる舞台作品こそがそのさらに原作とされる。

私が演劇の世界に魅了され心奪われたのは、2012年に上映された、舞台ライチ✩光クラブである。

ネタバレになるかもしれないが、冒頭から女教師の腸が引きずり出されるシーンより始まるこの舞台は、その物語のグロさや目を背けたくなるような世界観から、何故か目が離せない。笑ってしまうほどに客席に飛ぶ精液や血液の描写。上演前に行われる最前列の血糊から服を守るためのビニールの使用方法の説明までもがユニークな仕様となる。そして随所にあるシュールなギャグや、美しく未熟な少年少女を演じる俳優陣も、不器用に動く機械の身体、そしてライチ、薔薇などの小道具までもがどれもが脳裏に焼き付き、12月のクリスマス付近になるとその舞台を思い出さずにはいられない。

話は変わるが演劇の世界は縁が縁を呼ぶ。これ以降私は、この舞台の重要人物を演じる玉城裕規、そしてこの後の2015年版の舞台で脚本をつとめた丸尾丸一郎の虜となる。

とはいえ私にとって惜しいと思うのは、このライチ✩光クラブの原作の原作である、東京グランギニョルによる1985・1986年に上演されたライチ光クラブをこの目で見られないことだ。当時発行された演劇ぶっくの表紙を見れば一目瞭然だが、東京グランギニョルのジャイボはそれは美しい容姿をしている。この役者が今でも多くの表現活動をする飴屋法水氏である。私はこの1985年の飴屋法水氏の演技を想像せずにはいられない。この人はどんな少年を、同じ年頃の少年に愛されたいと乞い焦がれる健気で恐ろしく美しい少年を演じたのだろうか、私は見たこともない飴屋氏の演技に思いを馳せる。

演劇は美しい世界を切り取り、そこにある以上のモノを魅せる。目の前に立つ役者のエネルギーが、舞台の作り一つ一つが、そこにある空気そのものがひとつの作品となる。役者は舞台で命を輝かせる。玉城裕規は役を演じると言わない。生きると表現する。そこで生きている。物語の中で、役者は役を生きる。例え物語の中で死ぬとしても、その幕が降りるまで。だからこそ、東京グランギニョルはどのようにライチ✩光クラブを生きたのだろうか、この目で見たかったと時たま思う。

演劇の世界は縁だといったが、昨年末大阪で上演されたこの東京グランギニョルの宣伝美術兼役者であった丸尾末広の作品「笑う吸血鬼」を、ノスタルジックに泥臭くそれでいてロマンたっぷりな丸尾丸一郎脚本歌劇の、東京公演が決まった。これを見逃す手はない。

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