記録030

 仕事に遅刻しなくなった。つまるところ、朝、起きられるようになった。
薬を変えてから数ヶ月、ほんとうに信じられないくらいに、毎日毎日決まった時間に目が覚めて、時間通りに出発して、時間通りに職場につく。そんなことは、そんなことすら、わたしはこの26年間まったく出来なかった。朝起きるという、ただそれだけのことがほんとうに苦痛だった。
 それがどうだろう。毎日10錠の薬を飲むだけで、まるで「普通の」人間のようだ。朝起きて、仕事をして、帰宅して眠る。薬を飲むだけで、これら地獄のようなルーティンを淡々とこなせるようになる。恐ろしくて素晴らしいことだ。朝起きなくても、仕事にいかなくても、帰宅して眠ることができなくても、わたしは自分自身が「人間として成立している」と思い込んでいのだが、それはもちろん全くの誤りであった。それは生物学的存在としてはセーフでも、社会的存在としてはアウトだ。わたしはここにきてようやく、「生活できる人間」として成立しはじめたのだ。
 しかしながら一方では、わたしのなかの「恐怖」が倍々ゲームのように増殖していくのだ。「明日こそ起きられないのではないか」という恐怖だ。これまで積み重ねてきたことが一瞬にして消し飛んでしまうのではないか、わたしという存在の価値が傷つけられてしまうのではないか、という恐怖だ。この感情はいつになったらなくなるのだろう。いつになれば、この生活が「日常」になっていくのだろうか。けれどそういう思いの一方で、わたしは「こんな生活が日常になってくれるな」と思っていて、だからいつになっても、わたしの「日常」はわたし自身によって見張られ、縛られ、首を絞められているのだろう。

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