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己を変えるチャンスを無駄にした不登校期間

自分は中学の冬休み中、来年の事が不安で不登校になる事を考えついた。 同級生の他に一つ学年上と来年から来る一つ学年下の連中にいじめられた経験があったから中二になったらそいつらに挟まれて学校生活を送る羽目になる。 その事に耐えられなかったから自分は不登校になる事を決め中一の春休みを機に学校に行かなくなった(最初、学校行こうとしない自分に親は反対したが行かないと押し通すと諦めて不登校を受け入れてくれた)

不登校になるのを決めてた自分は中一の春休み前に一緒に登校してくれたY君に(これから一人で行くから)と言った(来年になっても家に迎えに来るY君に申し訳ないから) だが自分の声が小さくて伝わって無かったのかY君は来年になっても家に来てくれた。 家から出ない自分の代わりに母が(ごめんね~、学校行かないの)と伝えるとY君は(そうですか)と言いその場を去った。 それ以降、Y君とは疎遠になった。

不登校になった数日後に中一の時の担任のGが自分の部屋まで来て(学校はな~行かないと駄目なとこなんだよ!だから来い)と言ってきたが自分は(行きたくないです)と断った。 担任は(部活なんて無理して入らなかったら良かったのに)と的外れな事を言って自分が本当に不登校になった理由を理解して無かった。 確かに部活は細悪魔や自分の事を蔑む同級生がいて居心地は良いと言えないが良い人も居たし楽しかった。 自分が不登校になったのは学年に挟まれたいじめに耐えられなかったからなのにそれを部活のせいと勘違いしてた。 その事を話さなかった自分も悪いがこの担任は生徒から嫌われていて厳しいと評判だからそもそも話しづらかった(母もこの担任は上から目線で嫌いと言ってた) 行かないと断り続けたら諦めて担任は家から去った。 その後、新任で来た教師のMが自分の担任になったから母がその教師に教育相談室登校を提案し学校と相談した結果、教育相談室に通う事になった。

教育相談室に通い始めてからは幸せな日々だった。 教育相談室の方々は優しいし学校の悪い連中と関わらないし学校の嫌な行事や宿題からも解放されて気が楽になった。 しかし今思うとこの期間を有効に使わなかった事を後悔している。 

教育相談室に通い始めの時は勉強してたがだんだん怠けるようになり本来は朝から昼までいないと駄目なのに昼の11時くらいに到着して1時過ぎくらいに帰ったから実質2時間しか居なかった。 しかも絵描きや折り紙などの自分の好きな事だけして勉強にはほとんど手をつけなかった。

家に帰るとゲーム、パソコンに浸かり食事を疎かにしたり深夜にアニメ見て夜更かしなど不摂生な生活を送った。 そんな生活を繰り返してくうちに中三になった。 中三になり受験も近くなるのに自分は相変わらずだらけていた。

だがそんな生活の中でも意味のある事もあった。 ある日、教育相談室のK先生が自分に(市内の美術館のチケットが2枚あるから一緒に来ないか?)と誘ってくれたので同行した。 色々な絵や置物を見た(K先生が何か解説してたけど忘れた) 自分は絵に関心があったから良い経験だったと思う。 それ以外でもそのK先生とは色んな話しをしたり遊んだりした。 教育相談室で育ててる植物の種の事やヘチマの事を教わったりゴルフのおもちゃや卓球で遊んだり(他のY先生とも遊んだ)教育相談室の掃除を手伝ったりと勉強して無かったが良い日々を過ごした。

 でもそんな良い日々の中で悩んだり自殺を考えた時期もあった。 自分のいじめられてた時を振り返って(自分は弱い奴なんだ、格好悪かったな~、人見知りじゃなかったらいじめられ無かったかもしれない、何で殴り返せなかったんだ、こんな弱い自分がこれから生きていけるのか?)って考えてたら生きる気力が無くなった。 だが父の影響もあってか地獄の存在を信じてたからネットで自殺は地獄行きなのか調べたら自殺は地獄に堕ちると書かれてたから(自殺して地獄に堕ちたくないな~)と思い自殺を考えるのをやめた(自分の推測だが自殺が何故悪いのか?それは人が生まれ変わる前に神様に(生まれ変わらせて下さい!)とお願いして神様が(どんな人生でも自殺せず全うする事が条件だが約束出来るか?)と聞き人が(はい!約束します!だから生まれ変わらせて下さい!)と言い神様が(良かろう、生まれ変わらせてやろう、だが約束を破るなよ)と生まれ変わる前に約束をしたんだと思う。 その約束を破ったから自殺は悪い事なんだと自分は思う。 前世や死後の世界が本当に存在するのか分からないし生まれ変わる前の記憶が無いから確証は無いんですがね、父に感化されたのもありますね)

自分が中三の時に東日本大震災が発生した。 ニュースを見て(自分も何か役に立ちたい)と思いボランティアに参加したいと親に伝えると(叔父が五日間休みだから一緒に行ったら)と聞き叔父に参加したいと話したら(おう!行ってもいいぞ!)と叔父も乗り気になり一緒に震災のボランティアに参加した。 宮城県岩沼市ってとこを叔父と自分は支援した。 五日間連続で参加して不登校で鈍った自分には疲れて睡眠が足りない重労働だったが現地の被災者から(ありがとう)と感謝されたのは嬉しかったし働いた後に提供されたホルモンうどんやじゃが芋汁は旨かった。 遠い被災地から自分の住む田舎に帰った後はしばらく戻って来た実感が無かった。

不登校生活を続けて時が経ち、中三最後の受験シーズンに突入すると学校から出席日数が足りないとの事で呼び出されたので出席日数を補う為に週に二回、夕方に学校に通う事になった。 他生徒に出来るだけ出会したく無いから放課後の生徒が減った時間帯に父と学校に行った。 放課後の学校ではスクールカウンセラーと話したり遊んだり担任のM(不登校になった後から二年一緒の担任)と軽い勉強した。 帰り際に校長室で校長と会話したりもした。 不登校中に変わった新しい校長に自分の絵に美術の先生が関心を持った事を担任Mが話したから絵の話をした事もあった(内容忘れた) 放課後登校になってしばらく経つと受験や進路の事を担任が話してきた。 自分は進路の事など全く考えてなく(中卒でも構わない)と言うと父と担任に(中卒は人生厳しい)と言われ反対された。 その後、何度も(高校は出た方が良い)と説得されたので(一応、受験しとくか)と浅はかな判断で受験を承諾した。 受験する高校をいくつかの候補から選んだ結果、隣町にある定時制の市立高校を受験する事にした。 選んだ高校は授業料が無料で自分みたいないじめ経験がある人、おとなしい人が来て(定時制だからDQNやヤンキーみたいな奴、夜間もあるから大人も来るが当時は軽く考えていた)定時制だから普通の学校より早く帰れるので自分には好条件だった。 家からその学校までは少し距離があるのでバスで通学するからバス代は出るが他の学校より比較的安かった。

受験の前に父と見学に行った。 高校の教師に案内され学校の校舎、部活動の様子、教育方法、その他色々紹介された(見学の時に細悪魔がいる事に気づいてたら行かなかった) その後、受験に真剣に挑み合格した(後に名前さえ書けたら合格出来ると知り拍子抜けした)

受験を終え教育相談室の日々ともお別れの時が来た。 お世話になった教育相談室の方々と別れの挨拶をし教育相談室を後にした。

卒業式前に学校に登校した(数日だけ登校した) 登校中にふざけて名前を呼んでくる連中がいたが構わず学校に向かった。 学校近くの交差点で教育相談室通ってた時によく見かけた爺ちゃんが(学校登校してるんだねぇ)と声をかけてきた(この爺ちゃんはひょっとして自分が学校行ってないのを気にかけてくれてたのだろうか?) 学校に着き同級生と再会し朝礼した後、卒業式の練習に参加した。

卒業式の練習中に同級生達の成長を見せつけられた。 声変わりし体も成長していて(一年の時は小さい奴いたのに二年で大分変わるんだな~)と思春期の成長スピードに驚いた。 名前を順に呼ばれて(はい!)と返事する練習に少し参加して途中で早退した。それを数日繰り返し不登校に戻った。 それから何日か経ち、同級生達は卒業式を迎え学校を卒業した(母が卒業式を見てきて後で衝撃的な事があったのを知らされた)

同級生達の卒業式の数日後に自分は父と学校に向かい校長室で卒業式を迎えた。校長から卒業証書を貰い、自分も中学を卒業した。

その後、母が自分のいない卒業式の様子を教えてくれたのでどんな様子だったか聞いた。

母が(あんたの名前が呼ばれたら卒業生の皆が一斉に(はい!!)て叫んでたよ!それ聞いてて恥ずかしかったよ!)と聞かされた。担任Mが先導でそれを自分や親に報告せずに勝手に行っていた。その担任Mの行為に自分は母に(悪い意味でその場の人達の記憶に残ったな、この卒業式思い出す度にネタにされたり語られるんだろうな)と言った。更に母が(それを担任Mが私に誇らしげに語ってたの!)と聞かされ自分は(余計な事してくれたなMは!単なる自己満足だよ!)と怒った(その能天気な担任Mは中学卒業後も同級生の朗報をハガキで送ってきた(自分にはどうでも良い!) ) それから春休みに入り中学生活は完全に終わった。 

不登校期間は自分の今までの人生で良い選択をしたと断言出来る幸せな日々でした。でもこの不登校期間を有効に使わなかったのは一生の後悔です。この頃に(己を変える)と前向きに行動したら良かったのに当時の自分は自殺考えて後ろ向きになっていた。これからいじめられない為に格闘技習って自信つけたり人見知り克服の本でも読んでたら後の結果が違ったかもしれませんね(人生やり直したい!)

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