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世界遺産「ラリベラの岩窟教会群」へ弾丸旅行🇪🇹

引き続きエチオピア旅行振り返りシリーズです。2023年2月、4年半ぶりにアフリカへ行った時に訪問した世界遺産についてレビューします。
大学受験の科目は圧倒的に世界史派でした(私立専願のため3科目)。世界史センター満点は私の数少ない自慢エピソードなのですが、今思うと、もっと国英に時間を費やすべきだった気がします。とは言っても受験のための世界史。山川の教科書を丸暗記していただけで、大学入学時にはすでに半分以上の単語を忘れていました。ですが、脳は完全削除していなかったようで、写真や単語からどんな歴史かをうっすら思い出すことががありました。
余談が長くなりましたが、”ラリベラ”もその程度は記憶していました。(世界遺産検定を受けた際も暗記したはずですが、残念なことに一ミリも記憶にございません)

出発前にエチオピア旅ブログを読んでもピント来ず、滞在日数や移動距離を考えても、今回の旅行ではラリべラは諦めて、ずっとアディスアベバに滞在する予定でした。

ですが、エチオピア初日の夜に出会った人から「ラリベラはぜひ行くべき」と強く勧められました。翌朝、時差ボケの影響で5時前に目を覚ました瞬間「まあ日本の高校生が学ぶくらいの場所だし行ってみよう」という決断に至り飛行機と宿を抑え、そのまま出発することにしたのです。(時差ボケありがとう)
弾丸も良いところで、1泊2日で行くことになりました。また、アディスアベバ⇔ラリベラは毎日飛んでいるわけではないので、復路は乗り継ぎでした。

エチオピア航空国内線、小さくて可愛かった!

✈️アディスアベバ→ラリベラ

午前11:30→午後12:45(1時間15分)のフライト。大幅な遅延もなく、ラリベラ到着。2−2シートの小さいタイプの飛行機でした。機体は年季が入っていました。
見た目だけで判断すると、白人やアジア系の人も少々いました。たまたま前日の成田→アディスアベバフライトが同じだった日本人の方々とも奇跡的に同じフライトでした。その方たちは、途上国や災害地で緊急人道支援などを行っているNPOの方々で、日本在住の職員さんが現場視察のために訪れているとのことでした。みなさん英語力が圧倒的でしたので、安心感が半端なかったです。

ラリベラ空港も小さくて可愛かった〜

空港の周りは何もなく、のどかな場所にあります

空港から中心街へは車で30分ほど。私はホテルが提携しているシャトルバスを利用しました。名前とホテル名を言ったらスムーズに案内され、バスの発車を待ちました。車内は蒸し風呂状態で辛かったけど、車窓から見える広大な大地にワクワクが止まりませんでした。
少しずつお客さんを下ろしていき、私の番が来たときに運転手が合図してくれました。言い値の料金を支払い(交渉の余地なし😢)、ホテルの前で下ろしてもらいました。(料金忘れましたが、振り返ってみると高かった気がします)

可愛いゲストハウス「ミニラリベラゲストハウス」

飛行機が高く付いてしまったので宿は抑えようと言うことで、booking.comで最安値で表示されていた「Mini Lalibela Guest House」と言うゲストハウスに泊まりました。$11/1泊でした。

部屋の様子

シャワーはチョロチョロ水だったので、髪は諦めました。
さすがコーヒーの国エチオピア。到着して早々、炎天下で熱々&甘々コーヒをいただきました。これがまた堪らないわけです。
1人で黄昏ていると、お兄さんの営業が始まりました。「2日しか時間がないのだから、ガイドはマストだ」と言うお兄さんに乗せられ、その場で2日間のガイド料$40支払いました。(今思えばただの良い鴨だったかも)
お兄さんたちと遅めのお昼ご飯にインジェラを食べた後、14時すぎにラリベラの岩窟教会群へ。
バイクタクシーで入り口まで連れて行ってもらい、ゲートで入場料$50をお支払い。ここまでですでにラリベラで1万円以上使ったわけです。(学生時代の貧乏旅行ではあり得ないことですが、時間がない中でアフリカを満喫するには仕方がないとなり、言われるがままに支払った結果です)

2日間お世話になったバイタク

岩を掘られてできた教会とは・・・

そんな私のケチ心は教会に入った瞬間すっかり消えました。ゴツゴツした岩山に突然建造物が眼下に広がりました。
ラリベラの岩窟教会群はエチオピア正教会の教会で、毎年多くの教徒が巡礼に訪れます。1187年に聖地エルサレムがイスラム教徒の手に落ちたことを受け、ラリベラに教会が建設されることになりました。こういったことからもエチオピアが他のサハラ以南アフリカとは異なる歴史を歩んできたことがわかります。

全部で11ある教会。大きさも違うし、デザインも個性豊かだった

教会「群」ですので、教会は色んな所にあります。2日間かけてできる限り多く巡りました。教会によって大きさは全然違うし、天井や壁に描かれるモチーフも違いました。
教会同士が通路で繋がっていることがあるのですが、急な道や細い道、真っ暗で手探りで進むところもありました。
その中で最も保存状態が良いとされる「ベテ・ギョルギス」。掘り下げられた細い階段を抜け、さらに続く小道を抜けると教会の入り口に着きます。こんなに硬い岩を掘って教会を作り上げるなんて信じられないと思いました。

ベテ・ギョルギス(聖ゲオルギウス聖堂)

教会の中は空気がひんやりとして澄んでおり、白い伝統衣装に身を包んだ老若男女がお祈りをしていました。信者の中には、岩に口付けをしている人もいました。

教会内部にはイエスキリスト、聖母マリア、昔の王(とその家族)の絵画が飾ってありました

ガイドさんは一生懸命説明してくれたのですが、英語力が乏しい私は半分以上理解できず、ひたすら「ワーオ!ワンダフル!アメイジング!」を連呼していました。

教会や修道院は天に届くように山頂のような高いところに作られたり、高く作られたりしている印象でした。(ギリシャのメテオラが良い例です)ですが、ラリベラの岩窟教会群はイスラム勢力から守るため、遠くから見てわからないように敢えて地下に作ったとのことでした。建設した当時の人々の信仰の厚さを感じました。

岩をくり抜いてできた通路は歩きずらいので、教会に杖が置いてあります。自由に使うことができます。
伝統的な家屋

ラリベラの夕日🌅

教会を見た後は、サンセットがよく見える場所に連れて行ってもらいました。永遠と続く大地へ沈んでいく夕日はとても感動的でした。(一人旅なので誰とも感動を分かち合えず寂しい思いもしました)
世界中見てる太陽は同じなのに、場所が違うとまるで別物を見てるかのように感じるのは私だけではないと思います。
日が落ちてから気温が一気に下がり、寒さに耐えきれずブランケットを借りました。行かれる方は防寒着必携です。

伝統的な蜂蜜酒に挑戦!

最後はバーに連れて行ってもらい、伝統的なお酒を飲みました。「Tej(テッジ)」と呼ばれるお酒で、ハチミツとホップで作られており、めちゃくちゃ甘かったです。クセのある果実酒でした。エチオピアや隣国エリトリアが起源の3,000年以上の歴史があるアルコール飲料らしいです。
一人旅の場合、基本夜は外出しません(現地で知り合った人がいれば別ですが)。バーではヨーロッパから来てる愉快なおじさんと旅の思い出話ができて楽しかったです。正直、ガイド料40ドル高いと思っていましたが、大満喫できたので結果オーライでした。

フラスコのような変わった形の容器で飲むのがルールらしいです

ラリベラの町は程よい田舎感で◎

ラリベラの街は有名な教会群があるので栄えてはいますが、首都アディスアベバに比べれば小さな田舎町です。タクシーよりはバイクタクシーが主です。未舗装道路もたくさんありました。でもその雰囲気が私好みで大変気に入りました。町散策動画もたくさん撮りました。

あっという間に帰路

帰りはまず、午後12:20発12:50着ゴンダールへ。ゴンダールから午後2:00発3:15着でアディスアベバに帰る予定でした。ところが、ホテルから空港までのシャトルバスが大幅に遅れ、飛行機出発時刻に空港到着。そう言う時に限って手荷物検査で引っかかり焦る私。飛行機に飛び乗ったはいいものの一向に出発せず、出発時間過ぎても乗客が次々と乗り込んでいました。結局40~50分遅れて出発しました。ゴンダール発便の搭乗時間が迫り大焦りをしていましたが、ゴンダール空港でスタッフさんが迅速に対応してくださり、なんとか間に合うことができました。ここでまさかの事件発生。飛行機内でシャトルバス代を払っていないことに気づいてしまいました。無賃乗車です。しかし時すでに遅し。ごめんなさい。。
ゴンダール空港もラリベラ空港と同じように小さかったですが、色合いが可愛かったです。

ゴンダール空港

以上が私のラリベラ弾丸旅行です。
反省点は、下調べしたり情報収集をしていなかったところです。全て言い値で支払っていたのですが、事前に大体の値段を把握できていれば交渉できたと思います。

結論は行って良かった!です。高校時代に世界史資料集で見た景色を生で見るなんて夢にも思っていませんでしたが、見ることができて本当に良かったです。
長かったコロナ禍も終わり、世界中を行き来しやすくなりました。行ける時に行っておかないと、またいつ行けなくなるか分からないので、財布と相談しつつこれからもいろいろな景色を見に行きたいです。


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