新型コロナウィルス PCR検査について思うこと

2019年の年末には対岸の火事だった新型コロナウィルス感染症は、瞬く間に世界中に広がって猛威を奮い、今や1万人を超える犠牲者を出している。ここ日本では、感染者数の増大だけでなく、マスク、アルコール消毒液、トイレットペーパー、生理用品、青のり、納豆などの食料品など、様々な物資不足という二次災害を引き起こしている。
そして新型コロナウィルスは新型であるがゆえに、精度の高い検査法の確立が困難で、かつPCR法という高度かつ手間のかかる手法ゆえに、思うように検査ができない状況にある。そのため、政府の陰謀で検査を行ってくれないという意見も散見される。
自分も以前、仕事で研究者としてPCRを行っていた経験があり、また薬学を専攻していたので、ウィルス、感染症の基礎知識もあるので、こうした理解不足から生じている的外れな不満を歯痒く感じている。そこでPCR法とはどんな検査方法なのか、そしてPCR法で新型コロナウィルスの検査するすることで、どんなメリット、デメリットがあるのかをまとめてみる。デマに踊らされないために、少しでもPCR法への理解を深めていただければ幸いである。
本投稿は以下のような構成になっている。
・PCR法とは何をするための検査か
・PCR法のメリットは何か
・PCR法の弱点は何か
・PCR検査を受けることに、どの様なメリットがあるのか
・まとめ(将来に向けて)

PCR法とは何を検査するためのものなのか

はじめに言っておきたいのは、一般の方々が「検査」と聞いてイメージするのは、リトマス試験紙を液体に浸せば色が変わって誰にでも酸性、アルカリ性の判定できたり、インフルエンザ検査のように鼻粘膜を綿棒で拭って10分待てば結果が分かるような簡単なものではない。検査センターで扱っている検査法のうち、こんなに簡単なものは少数派で、その中でもPCR法は、とても手間がかかり、工程のどこかで操作にミスがあると正しい結果を得られないデリケートな検査法でもあるのだ。しかもミスしたことには、ほぼ気づけない。
PCRとは、「Polymerase Chain Reaction (ポリメラーゼ連鎖反応)」の略で、ポリメラーゼつまりDNAポリメラーゼの塩基伸長反応を複数回繰り返すことによって、狙ったDNAだけを、とんでもない量にまで増やす方法である。サンプル中にほんの僅かしか存在しないウィルスなどのDNAをコピーしまくって、分析しやすい量にまで増やすイメージだ。つまり、PCR法は単に目的とするDNAやRNAを増やすための手段であって、実はこれだけでは検査とは呼べない。より正確には検査用のサンプルを用意するための下ごしらえと言ってもいいのかもれない。PCR法で増やしたDNAを電気泳動法など別の実験法で調べることで、初めて増やしたものが目的とするDNAかどうかを確認することができる。
PCR法の仕組みについて、なるべく細かい原理や専門用語はなるべく省いて説明しようと思うけど、それでも大事なことは省略しないので長くなるのは諦めてください。まずPCR法を行うときに大事な材料が3つある。1つ目は着目しているDNAやRNAの配列の一部に一致するプライマー、2つ目がDNAポリメラーゼ、3つ目がDNAやRNAを構成するATGCなどの塩基だ。この中でも一番の肝になるのはプライマーの設計で、新型コロナウィルスの場合は新型にしかないRNAの塩基配列に対して一致する配列を含んだプライマーを設計する必要がある。プライマーは配列の成分や長さによっても増幅の効率に影響する。ここでもしも既存のコロナウィルスと新型の両方に存在する塩基配列を選んでしまうと、普通の風邪(つまり旧来のコロナウイルス感染症)の患者さんまで新型コロナウィルスの陽性患者として検出してしまう。PCR法の第一段階では患者から採取したサンプルとこれら材料を混ぜ合わせてから温度を90℃以上に上げる。するとDNAの二重らせんがほぐれる。RNAは自身で巻きついている構造がほぐれる。そして次に温度を50-60℃くらいまで下げていくと二重らせんが元に戻ろうとするが、このときより短い塩基配列のプライマーが先にDNAやRNAに結合する。正しいプライマーを使うことで、新型コロナウィルスのRNAにだけプライマーが結合するので、紛れこんでいる他の生物のDNAやウィルスのRNAは無視される。さらに温度を少し上げて70℃くらいにすると、DNAポリメラーゼが働きはじめてコロナウィルスのRNAに結合したプライマーの配列に続く塩基をファスナーのようにつなぎ合わせていくことで、新型コロナウィルスのRNAに対応するDNAのコピーを作る。これが反応の1サイクル目で、温度を上げ下げさせることで、この反応を更に複数サイクル繰り返すことができる。これを20-40サイクル繰り返す。1サイクルの反応で理論的に元の2倍のDNAを作ることができ、20-40サイクル繰り返すことによって100-1000万倍にまで増やすことができる。(理論的に40サイクルでは2^40=1兆倍になるが。)こうして増やしたDNAを電気泳動法などで分析することで、狙ったDNAが見つかれば陽性と判定される。このPCR法から電気泳動法までの工程に4〜5時間程度を要する。
PCR法について少し詳しく知りたいときには、トライの動画がよくできていて参考になる。

PCR法のメリットは何か

狙った塩基配列のみを検出できるため、プライマーを正しく設計できてさえいれば、偽陽性率を低く抑えることができる。つまり、陰性者(感染していない人)を陽性である(感染している患者)と見誤る確率は低い。

しかし弱点はいくつか挙げられる

RNAは分解を受けやすく、分断されやすい性質がある。コロナウィルスや肝炎ウィルスなどのRNAも例外ではなく、サンプルの扱いが悪ければ、正しい結果を得られない。分解されたRNAをPCR法で増幅しようとしても、安定した結果は得られない。さらに、今回の新型コロナウィルスは患者からのサンプル取得が困難なことも加わる。つまり粘膜から綿棒などでウィルスの付着している粘膜の表面を拭い取るのだが、陽性患者でも拭いとった部分にウィルスがいなければ陰性と判定されてしまうのだ。これら条件が重なることもあるため、新型コロナウィルスのPCR法は検出率が7割程度とされており、3割の確率で陽性患者を見落とすことになる。これは検査法としては、かなり低い検出精度である。
もう1つ、新型コロナウィルスには既に新たな変異種が存在していると言われており、変異が入る場所によっては、また新たなPCR法を開発しなければ検出できない可能性が出てくる。たとえば、日本に入ってきている新型コロナウィルス には、少なくとも由来の異なる2つのタイプが存在する可能性があるとされている。
また別の問題として、PCR法の実験操作は非常にデリケートで高度なテクニックを要するため、対応できる臨床検査技師が非常に少ないという事情がある。対応できるのは技師全体の1割程度と言われている。つまり様々な分析法に対応できる技師の中にあってさえ、さらに高度な技能を有した人だけが扱える検査法なのだ。技術的に未熟な人がPCRの操作を行うことで、もしも他の陽性患者のサンプルをほんの僅かでも紛れさせてしまえば、陰性の人を陽性患者として判定してしまったり(これをコンタミ(コンタミネーション)という)、あるいは上手く増幅ができず陽性として判定できないということが起こりえる(偽陰性)。実は研究者でもPCRを苦手としている人が少なく無い。実験操作に気を遣い、失敗すると多くの時間をロスするからだ。おまけに失敗したときに、何が悪かったのかがとても気づきにくい。だから初めから出来る人にやってもらうといったこともよくある。そのくらい高度な技術を要する検査法なのだ。

PCR検査を受けることで、どの様なメリットがあるのか

新型コロナウィルス に関しては、現時点で有効な治療薬、治療法はないので、対症療法に頼らざるを得ない状況にある。(注:アビガンはインフルエンザ治療薬であって、コロナウィルスには有効とされているが、コロナウィルスに対する承認薬では無い。)つまり、陽性と判定されても、症状を見ながら対応するほかないのだ。現時点の統計によると重症化度は20%程度、致死率はそのうちの3%程度とされている。8割以上が軽症、あるいは無症状とされている。これが陽性患者を見落としがちなPCR法に基づいたデータであるなら、重症化度、致死率はもう少し低い数値になると思われるが、いずれにしても重症患者を出さないために感染の拡大を抑えることが急務になる。現時点で国内においては政府や自治体から人との接触、特に濃厚接触を控えるよう注意喚起されている状況にあるため、検査ができるできないに関わらず感染リスクを最小限に抑えられるはずである。要するに、もしも感染拡大が起きるとしたら、検査を受け付けてくれなかったことではなく、注意喚起に従わなかった個々のモラルの方が大きな問題だったということにならないだろうか。検査ができないから行動を抑制できないという意見はお門違いとも受け取れる。
つまり現状のPCR法の低い精度、さらにそれを実施するだけの検査センターの許容量不足、陽性判定後に取りうる対応の少なさの問題から、PCR検査を受けられないことにって生じるデメリットは、あまり大きな問題と考えにくい。

まとめに代えて(将来に向けて)

しかしながら、インフルエンザ検査キットのような、もっと簡単かつ正確な検査法が登場すれば事情は全く異なってくる。感染拡大の引き金となるのは軽症、無症状の患者が、それと気づかず行動することでウィルスを拡散することで、大規模なスクリーニング検査によって、これら患者群を特定することができれば、感染拡大の抑制には有効である。
また、正確な感染者数を確認できれば、正確な重症化率、致死率などを導くことができる。PCR検査のみならず配列解析を併せて行うことで、将来に向けた対策を立てるときの情報として活用できるメリットまで生じる。例えば、新型コロナウィルスにはどの様な遺伝子変異のパターンがあって、それは基礎疾患があると重症化するリスクが高いとか、人種によって重症度に差が見られるとかいった知見の集積が可能なのだ。これは現状での感染拡大の抑止や治療を目的としたものではなく、疫学的な目的であるため、現状においての優先度はかなり低いくなる。

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