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競争か保護か揺れた判断

 拓銀の破綻は、旧大蔵省が長年行ってきた「護送船団行政」との決別という金融政策の大転換の過渡期に起きました。経営難に陥っていた拓銀にとっては、不幸な時期だったと言えるでしょう。
 当時は日本版金融ビッグバンを導入する流れの一方、大蔵省が「大手行はつぶさない」と明言し、「自由競争の促進」と「国による保護」という相反する二つの金融政策が共存していた状態でした。こうした中で深刻化したのが拓銀の経営危機です。救済するかどうかを巡り、金融当局の判断はかなり揺れたのではないかとみています。
 金融ビッグバンは、欧米に比べて立ち遅れていた日本の金融システムを国際基準にする上で避けて通れない改革でした。しかし、当時は、拓銀を含め多くの金融機関がバブル期に抱えた不良債権の処理に苦しんでいました。改革を進めるに当たり、経営基盤の弱い金融機関に対する配慮がもう少しあっても良かったと思います。
 大蔵省が意図的に拓銀を破綻させ、不良債権にあえぐ他行に公的資金を投入するきっかけにしたとの憶測も当時は飛び交いましたが、「見せしめ」の規模にしては大きすぎたことを考えても、私はあり得ないとみています。ただ、激変する経済情勢の中で国が判断に迷い、結果的に事態を大きくしてしまった側面は否めません。

※2017年11月17日 北海道新聞掲載

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