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「めぐりあい」第一部 出逢い


Ⅰ  ハルのこと

 大学生の時、メグ・ライアンとトム・ハンクスの映画「めぐり逢えたら」を見て、モチーフとなっている映画「めぐり逢い」を知って、デボラ・カーとケーリー・グラントの感情的で愛情に満ちた大人の恋に憧れた

これは8歳の子供と夫を持つ46歳の女の、ある男性とのめぐりあいの話・・・

5年前、旦那とのすれ違いの生活の寂しさを紛らす為に、あるサイトを利用し始めたんやった
最初は、男性のブログを読むだけで、自分からブログを載せることも、男性にメールを書くことも、男性のメールに返事をすることもせんかった

だけど、ハルのブログを読んで、私は彼と関わり、やり取りをするようになったんや 温かくてどこか切なくて、ほのぼのと優しい彼のブログに惹かれたんが最初やった

でもそれだけやない、彼のハンネ「ハル」は、私が大学から二十代を過ごした京都で一年だけ付き合った「はる」になんだか似ている感じがしたのも、惹かれていった理由の一つやった

最初のやり取りは、ハルの小説に関するブログやったと思う

私も読んで好きな小説の話やったんで、感性が近いというか、あぁこの人に私がこのブログを読んで感じたことを伝えたいなぁと思ったんや

ハルは関東に住んでいるようで、どうやら妻子がおるような感じが、彼のブログからは感じられとった。

年回りもはると近いようやった

考え方というか、文章の書き方も、はるらしい言い回しを感じさせるもんがあった

「まさかほんまもんのはるやないやろな?」 そう感じながらも、一人の男性、まだ顔も見とらん会ったこともない人に、彼の書く文章と、メールだけで段々と惹かれていったんは、一つには、旦那との仲が上手くいかんで、仕事と子育てのストレスが募る中、男性の温かさを求めとったんかもしれん

Ⅱ  息子のこと

八歳の息子・悟は、私の生きがいや

この春、大阪旦那を残し、岡山への転勤で二人きりの生活を始めてからは、特にそうや

だけど、私は悟の個性・人生を大事にしたいと思っとる。それは旦那もそうかもしれん
休みの日に時々旦那とサッカーをしたり、Jリーグの試合を観に行ったりしとったんで、息子は岡山に来た当初は寂しそうやった。
そういう役わりは私には出来へん事やから
でも、最近の悟は少し変わってきた気がする。
ええ方に変わったんが私は嬉しい

小学校2年生の息子は、地域のサッカークラブに入っとるクラスの子から誘われて、私に入りたいと言い出した。
あれは、4月に引っ越して直ぐの5月のGW明けやったかな

「あんた、サッカーやるんわええけど、続けられるんか?」
「母ちゃん、俺を信じてな。これでも母ちゃんの子やで」

これでも母ちゃんの子か
子育てしながら仕事を続けとる私の生き方が、悟に評価されたようで、なんか嬉しかった

学校の友達ともその頃から馴染んで、楽しそうに学校に行くようになって、週末のサッカーも楽しみにするようになったようや

総合人材サービスをやっとる勤務先の会社が、大規模災害時の事業継続と社員の働き方の抜本的な改革のため、大阪の本社機能の岡山・児島への一部移転を、会社CEOが発表したんは2年程前やった

何処か他人事のように考えとったけど、子育て世代に優しい新しい職場で、学童や託児施設と一体化したオフィスの担当を私にと白羽の矢が立ち、岡山と高松を結ぶJR瀬戸大橋線の途中駅、海沿いの街・倉敷市児島に転勤になったんは、私にとってもそうやけど、息子にとっても人生の一大転機やったと思う

晴れの国・岡山の暖かな日差しの中で、瀬戸内に面した穏やかな人々に囲まれて生活するんは、大阪の街中で育つのとは違う、生きるための、人として育つ為の養分を与えらえているようで、悟の顔が日に日に逞しく、そして男の子らしく日焼けしていくんが、母親としてほんま、嬉しかった

旦那とのことはこれからどうなるか分からんけど、彼と結婚せえへんかったら、悟を授からんかったんは事実やから、そのことは神様に感謝しとる

人生に性(さが)があるとしたら、私がはると出逢って別れて、旦那と知り合って結婚して悟が生まれたんは、私の、そして旦那の、そして悟の性なんやないかと思っとる


Ⅲ  旦那のこと

旦那・隆とは私が岡山に来てからは、時々、メールしたり、電話したりで、GWや夏休みには大阪に悟を連れて戻ったけど、夫婦の溝は埋まらんままやった
ここ六年程は、夫婦の夜のこともしとらん

息子が生きがいやといっても、私も女や
旦那と不仲の生活の中で、寂しさを感じることも多い。そんな中で、もう5年も続けとるハルとのやり取りは、もう一つの私の張り合いといっても良かった

でも、お互いのブログのコメントや、日々のことを書いたメールを交わすぐらいで、その関係に進展はなかったんは、何処かで私の心にブレーキが掛かっとったんかもしれん

旦那と知り合ったんは、私が京都の仕事を辞めて今の会社に入り、大阪で働き始めて5年が過ぎた頃、同僚との飲み会で紹介されたんがきっかけやった

なんか、優しそうな、それでいて脆そうな感じは、ちょっとはるに似ている感じがした。でもはると違うんは、口が上手くて女性の扱いに慣れたところやった

はると別れてから付き合った男性もおったけど、長くは続かんかった

どこかではるを、はるのようにケンカはするけど私の本音の部分を引き出し、そして優しく包んでくれる、素のままの私を愛してくれる男の人を探してたんかもしれん

もう私は、一生一人で生きていかなぁあかんのかなぁ
旦那に会ったんは、そういう思いを持っとった時やったから、あっという間に結婚まで進んだんかもしれん

でも、結婚して旦那との生活を始めて、なんか違うなぁという気持ちがどこか心の中にあった

子供の出来たんは嬉しかったけど、旦那とは子供が生まれてから、前よりも、段々とすれ違っていってしもた
理由はと聞かれても上手くは答えられん
人と人との関係は、そんなもんやないかな

そして、旦那も私に対して、同じような気持ちも持っているのも何となく分かっていた

去年、旦那に女がおるんやないかと疑うようなことが何度かあった
浮気の疑いを持った私は、岡山への転勤を受けて息子との単身生活を始めたる決心がついたんやった

Ⅳ  仕事のこと

倉敷市児島は、瀬戸内海に面した風光明媚な街で、日本のジーンズ発祥の街としても有名で、ジーンズストリートは観光客にも人気があるところや

本州と四国を結ぶ本州四国連絡橋の内、唯一鉄道も走っている児島・坂出ルートと呼ばれる瀬戸大橋によって、児島は四国へと繋がる窓口の街になったんや

岡山駅から20分ちょっと、香川の高松駅までは30分でいけるんで、通勤・通学で岡山や高松に行く人も多く、瀬戸の自然も豊かで住みやすい街やと思う

この街に目を付けた会社、特にあのCEOは凄いなぁと思う

「社員が社会的な生活をする上で子育て環境は大事」と明確に言い切って、ここ児島への本社機能移転に踏み切ったCEOに対し、反対も多かったと聞いとる

確かに、児島にあった既存の施設を活用したオフィスが多いとはいえ、施設整備費がかなりかさんどるようやから、随分思い切った移転事業といえる

岡山市や倉敷市の中心に比べると、便利とはいえ、児島周辺は若い人の人口も少なくなっとったから、託児所なんかが少ないのは、子育て世代の転勤には問題やった

そこで会社で託児施設や学童施設を申請して、オフィスと一体化した保育・教育施設を作ったんは画期的やと思う

しかも、施設の上にあるマンションまで会社で借り上げて、通勤時間ゼロで、子供を預けて、子供が遊ぶ姿を見ながらオフィスのフリースペースで、ノートパソコンで仕事をする環境作ってしもた

そんなんは、都会の会社では出来へんわな
でもその画期的な施設の責任者の担当に任されたんが私やった

今の総合人材サービスの会社に入社して15年が過ぎた。最初やった営業職で評価され、子供産んで、育児休暇を終えて職場に復帰してからは大阪本社の人事関係の仕事に変わって、それなりにやりがいも感じとった

でも都会で子供を育てながら働く女性の辛さは、考えた以上に大変やった。
朝起きて子供の弁当と朝食を作って、自転車で子供を載せて保育所に預け、そして出勤
仕事を終えて保育所で子供を引き取って買い物して晩御飯作って、子供を風呂に入れて、洗い物や洗濯を終える頃にはくたくたや

今ではそんな生活が夢のような感じがする程、子育てをする環境としては最高や

でも責任者として事業を新たに始める苦労は大変やった。それも新しい仕事を始める面白さやと思えばなんてことないと思うわ


Ⅴ  はるのこと

    ここ岡山の児島での子育て世代の為の新しいオフィス作り、そして息子、悟と生きる日々
やりがいや充実感を感じながらも、海沿いの街から穏やかな瀬戸の海を見ると、時折、胸がきゅんと苦しうなる気がするのはなんでやろ?

あぁ、はるに逢いたい また、私を怒らせるような軽口をたたいた後で、私のことをぎゅっと抱いてくれた彼の胸に包まれたい

今まで何人かの男に、旦那も含めて抱かれたけど、やっぱりあっちの相性もはるが一番やったと思う
私は心から、いや身体の奥の女の疼きが、そんな彼に再び抱かれたい、優しく包まれたいと願っとるんやないかと思う

でもなんでやろな?
なんで別れたんかな?
私が幼かったから?
はるが意固地やったから?

どっちもなんやろな
これも運命なんかな
後悔先に立たずって言うけど、ほんまやなぁ

大学から最初の職場を過ごした京都で、大学生やった私ははると出逢い、そして共に一年の時を過ごした

私は京都の寺社巡りが好きやったんで、二十代のカップルが遊びに行くような所には行かんと、京都の東山、嵐山、上賀茂・下鴨、祇園や西陣、宇治、龍安寺や仁和寺
そんな京都の街や寺社を休みの日にはお弁当を作って廻って、そしてはるや私のアパートで夜は二人で過ごして・・・

今考えると素敵な夢のような日々やったな。でも息子のいない昔の生活に戻ろうとも思えんな

はるもいて、息子もいて、それが最高なんやけどな
そんなありもせんことを考えてしまうんは、やっぱり寂しいんかな

ハルは、やっぱりはるなんかな
時々、それらしいことを感じさせてくれるブログの文面もある
でも、それなら、私が素子やと分かっとるはずなんやけど、そう言ってこないんはなんでやろな

やっぱりはるとハルは違うんかな?

最初に行った龍安寺もそうやけど、晩秋の京都の東山に二人で行ったんは私にとって一つの思い出や

私の好きな青蓮院門跡の宸殿(しんでん)から見る大楠のある庭を、二人でずっと眺めていた晩秋の日のことは、ずっと忘れることが出来んかった

私はそのことをブログに書いてみた。また思い出の青蓮院に行ってみたいと・・・

(つづく)

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