私のペルソナの形成(少年期編③)

「努力が報われる」ということを感覚で理解することの意義は大きい。なぜなら、努力がそれほど苦痛ではなくなってくるからだ。人は希望を食べて生きる動物と言われる。したがって、同じ勉強でも「それをやって何になるんだ」と思えば地獄のように苦痛であるし、「頑張って勉強すれば成績は上がり周囲から認められる」と、先を見通せればモチベーションも上がりやすい。体も弱くスポーツで目立つことのできない私は、勉強によって目立つことの快感を次第に覚えていった。

また、小学生レベルの勉強であれば、その優劣は頭の良し悪しではなく、地道な努力の差によることも身に沁みた。毎朝父とその日の授業内容を予習してから学校へ行くので、学校の授業は“復習”に当たる。これによる定着効果は大きい。エビングハウスの忘却曲線によると人は24時間で学んだことの66%を忘れてしまうわけだから、当日に予習して授業に臨む私との差は歴然だ。

こうして私の通知表は1年を待たずして、国語・算数・理科・社会の4科目は一番左、つまり「よい」の欄に一直線に丸が並ぶようになった。またその頃、親友を介してあるハイレベルな私塾に入塾したが、中学に上がったばかりの時、塾長から驚くべきことを言われた。「中学で一番になりなさい。君ならなれるよ」。

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