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他責には見えない世界がある

おはようございます。

さて。

今日は「大人とか子供を都合よく使う人へ」というテーマでお話していこうと思います。

チェス!

大人だろ!大人になるな!

僕は色々と相談される中で「しょうもない大人になるな!」ということが多いのですが、この「しょうもない」というのが意味のお話です。

僕はよく子供っぽいとか少年見たいと言われますが、これだけが言えるのが少年のように無責任ではないということです。

先日、中学生の時からの同級生に「いい意味でめっちゃ変わったよな」と言われたんですが、自分でも自覚症状がありますが、変わったというより変わらない為の努力をひたすらにしたという方が大きい感じがします。

周りが変わってくれると自分だけが変わっていないだけで、変わったように錯覚させることができるんだと思います。

僕にとっては大人とは「自責で生きる」ことだと思っていて、外野で人を馬鹿にする人生を選んだ上で困っているのも過去の自分が選んできた自責でしかないと思っています。

大人になって許されないもの、それが他責だと思います。

子供の時はそれでも生きていけて、「あいつが悪い」「こいつが悪い」など、言ってもいいとは思いますが、大人の世界にそれは通用しないと思います。

自責の人は、人も信頼もなくなり、あるのはもっと他責にする人生というパターンが圧倒的に多い。

なので、僕からするとやりたいことには愚直に進んで、やるべきことはお願いしたり、自分でやったり責任を持つ。

この毎日の記事も僕の中ではそうです。

毎日書くと決めたんだから毎日書くと決めて、3年が経ちました。

そら、毎日書きたいことがある人生なわけでもないし、今日苦しい…
と思う日もザラにあります。

ですが、そんな中でもそんな日でも書くことが、自分との約束になって、達成した時に何か乗り越えた気分になりますし、なんとかする力が鍛えられている気がします。

この先が見えない人生においては「なんとかする力」は僕は相当必要なスキルだと思っていて、人生もどんな状況になっても、慌てずになんとかするしかない。

そう考えると、晴れたり、雨が降ったりする天気のように、今日はやる気があるからしよう!今日はやる気がないからやめよう!とかではなく、

どうやればなんとかなる?と考える方が大事だと思います。

大人はなんかとする

これを悪くとってしまうこともあります。隠蔽ってやつです。

ですが、二極論なのでいい方に使うのか悪い方に使うのかはつまる所自分次第です。

ではでは、自責他責の話に戻ると…芸能人のスキャンダルなどを見ていると本当に思うのが、そんなに興味ある?ということ。

そこからヒントを経たんですが、他責の方は他人に興味があって、自責の人は自分に興味があるんだと思います。

僕は自責を意識しているので、誰にわらられようが、馬鹿にされようが、ヒッチハイクをするし、東京ー大阪をママチャリで引っ越しするし、海外で自分の歌が通用するのかを確かめに行きました。

この時に思ったことが、周りの人の反応で止める人が一定数いたんです。

「海外に行って自分の歌が通用するのか試したい!」と言った僕に対して、「海外は危ない辞めとけ!何しに海外に行くだ!」と言った上司もいました。
#日本語わかる

ですが、それを強引に突破したおかげで、海外でいい経験できましたし、自分の歌が通用することが証明できました。

そして、帰ってくると別人のような掌を返したような扱いが待っていたんです。

「お前すげーな」
「絶対にできると思ってた」
「色々話を聞かせてよ」

みたいな。

僕はこの体験を人生ですることは大事だと思っていて、人の意見に流されているうちはこの体験が出来ない。(実際に辞めちゃうから)

そういう意味では自分の意志を貫いて、自責で生きるチャックポイントとしてはいいのかも知れませんが、必ずやりたいことが生まれたときにこの障害は生じます。

それを超えるのは「なんとかする力」と「自責の考え方を持つ」しかなくて、自分の人生を人に預けないことは大事。

まだまだ、やりたいことが多い人生ですが、(※見たい景色が多いんだよな)行けるところまで行って一年の終わりに今年も頑張れたと胸を張って正月を迎えるのが好きなんです。

それではあと10日もすれば、来年ですが体調には気をつけてみんなで走り抜きましょう。

坂口靖彦でした。

ばいちゃ〜


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