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【54日目】「ついきゅう」の先に何があるのか vol.82

前回「追究」と「追求」について書きました。
どちらも大切なことであり、誰もがどちらかの「ついきゅう」はしているのだと思います。
「ついきゅう」の先にはどんなことがあるのか再度考えてみました。

「ついきゅう」の始まり

僕が「ついきゅう」してきたものの一つに、学校の授業があります。
教師の仕事として、1番本質になってくることが授業です。
子供達にわかってもらえる授業をしたい。
これは、周りからの評価をもらうために、がんばっていました。
そして、子供達がどう変わっていったか。
よりよい変容を求めて授業力を高めていきました。
これらは、どちらも結果を求めている「追求」でした。
なぜ、結果を求めるかというと、やはり自分に自信がないからです。
だから、自信をもてるように、とことん追求していったのです。

「追求」から「追究」へ

そんな追求を続けていくと、自分の教師としての在り方、人としての在り方が徐々に形成されていきました。

一人一人に寄り添っていきたい。
全ての人ではなく、両手に抱えられるだけの人を幸せにしたい。

これは、僕の確固たる自分の信念になっていきました。
始まりは、結果ばかりを求めていました。
ある意味、他の人からどう思われているかが重要だったのです。
しかし、そんな気持ちで「追求」し続けていくと、気づけば自分の在り方に気づくことができ、それを求める「追究」になっていたのです。

「ついきゅう」の先には

「追求」をしていくことで、確固たる自分に気づくことができる。
確固たる自分に気づくことがでいれば、その道を「追究」していくことになります。

授業では、研究授業にも何度も取り組み、研究会にも何度も参加しました。
時には、夜遅くまで授業について語ることもありました。

料理に関しても、技術を高めることがかっこいいという理由から始めたことでも、今では巡り巡って、人に喜んでもらうために料理をしています。

この「ついきゅう」のスパイラルは、振り返ってみると、実はたくさんやってきていたのです。
そして、過去を認めることができ、自分自身を認めることができるのです。
過去の肯定は、未来への「ついきゅう」のガソリンになります。
今までここまでやってきたのだから、これからもさらに「ついきゅう」していこうと思えるのです。

具体的なことは違えど、自分の在り方は変わりません。
これからも「追求」や「追究」していきます。

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