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読書会のメモ「ナラティヴ・セラピー・ワークショップ BookⅡ」 第7回

昨年(2022年)12月に出版された国重浩一さんの「ナラティヴ・セラピー・ワークショップ BookⅡ」。
毎月1回1章ずつを目安に進めていく仲間内での読書会のふりかえりと備忘メモとして残していく。
第7回の今回は、第6章「外在化の要領」(前)について、2023年7月2日(日)に実施。

第6回「第5章」⇦              ⇨第8回「第6章」(後)


1.はじめに

第6章は、これまでに比べるとページ数が多いが、事前に通読した時は、若干のメモを加えながらも15-20分程度でさらっと読めたし、それほど引っかかるところもなかったので、読書会でもすんなり進むのではないかと思っていた。

しかし実際には、参加者それぞれの経験も含めて、さまざまな角度からの意見や考えが場に出てきて、途中で時間切れ。第8節とそれに続くワークの部分は残ったので、次回は第7節あたりから取り組むことになった。

ということで、今回は第6章「外在化の要領」の途中までだが、手元メモを見返しながら、今回も読書会の対話の中で印象に残った言葉やフレーズを中心に、振り返りを行いたい。

2.読書会の中で印象に残った言葉たち

第1節 相手の言葉を大切にする

・p100からの会話の引用において、マイケルが「支配(reign)と雨(rain)」の同音異義語を使ったことは、水のイメージからの広がりを生んだ。その後の「土砂降り」「ドロ沼」「膝までつかる」「滑りやすい」「ズルズルとスリップ」などの表現を引き出して、家族のおかれている状況を豊かに表現することにつながった。
・第5章の遺糞症と外在化の表現が違う・・・事例家族が異なっている
 → マイケルは遺糞症の事例をいろいろ扱ったんだろうね
・「わたしたちは、どれ一つとして、自分が独自に作り上げた言葉を話してはいないのです」(p102)
・「言葉はずっと長いこと様々な形で使われてきたし、これから先もなじみの使われ方をしたり、独特の使われ方をしたりするだろう」(デイヴィッド・パレ)

第2節 ニックネームをつける

・相手の言葉を使って、括弧(「」)の中に入れることで何でもできる(p104)
・外在化というとニックネームをつけるイメージが強い
・最初から「名前をつけるとしたら・・・」と言われると心を閉ざす。傾聴による信頼関係の土台があって初めて、ネーミングの質問を相手が受け止められるようになるのかもしれない。
・カウンセリングの現場では、怒りのこもった話をぶつけられ、(外在化の働きかけをしたいと思っても)圧倒されてコメントをさしはさむこともできない感覚になることがある。時間の制約があるからこそ聴ける面がある。無制限だとこちらが持たない。

第3節 擬人化

・ニックネームによる擬人化で、あたかも人格を持ったように扱うと、より豊富な表現を手に入れることができる (p106)
・外在化できるようになって、ADHDとつきあい方が変わった
  発動している時があるということは、発動してないときがある
  発動している時は混乱しているが、支配されていない時の自分もいる
ことに気づいて(ADHDと)付き合いやすくなった
・過去の体験として、リスカを繰り返す友人に対して、自分も周囲も腫れ物に触れるような扱い、当事者が問題を話題にしないように働きかけていた
 ⇨ どうしていいかわからない不安
・日本語では「くん」「さん」「ちゃん」をつけることで擬人化しやすい面があるが、大のオトナはかえって使いにくいかも。
・かつて組織変革を妨げる要因を「○○モンスター」と表現したコンサルがあった。上司が「□□さんは○○モンスター」と言い出すと、魔女狩り的にモンスター狩りが始まって、みんなが嫌な気持ちになって、やがて誰も使わなくなっていく。外在化されたものが個人に紐づけられて「人が問題」にされていく。

第4節 主語を置き換える(出来事について語る)

・外在化の表現において、主語を変えること自体には違和感はなくても、その後の述語(動詞)表現が不自然な日本語に聞こえて、違和感を覚えることが多いように感じる
・○「うつ病は、いつ頃から始まりましたか」
 ×「(あなたは)いつ頃から(うつ病を)感じ始めましたか?」
・(相手のうっかりに) 「笑っちゃいましたよ」と返すとややバカにした語感が生じる。「(私のところに)『笑い』がやってきました」と外在化表現を使うことで穏やかな感じになる
・外在化「いつも失敗ばかり」と「いつも失敗ばかりしてしまうこと」について(p109)
 外在化したつもりでも、主語が私になっている
 「してしまう」と完了形になっていることで事実認定している
・外在化の微細な表現の違いは、リアルタイムで進行する会話の中では、考えが至らないことも多い。国重さん(著者)でも「しまった」と思うことがある(p110)なのだから、試行錯誤しながら取り組んでいくしかない。

第5節 動詞を名詞に代えて、主語とする

・長い表現になるが、比較的使いやすい(とりくみやすい)感じがする
・相手の言葉を使った外在化には、伝え返しの意味合いもある
・伝え返しは、共感に至ってなくても、しっかり聴いて受け取ったというメッセージになる
・「この(伝え返し)プロセスを省略してはいけない」(p112)

<<ちょっと脱線>>
・相手の話していることの意味合いが分からないので、淡々と言葉を返した
 →オーディエンスのコメントとして、共感しているように感じた
  →共感が無くても、しっかり聴いて伝え返しすること自体が、話し手の安心感にもつながる

・共感的に聴くと返す言葉にメリハリがつく
 →そっちにバイアスがかかる(伝わって誘導的な作用が生まれる可能性がある)ので、言葉を受け止めてその言葉を返すように努めている
・重みをつけて返すこともある:パターン化されるものでもなく、相手と関係の状態による反応なのかな?

第6節 一つのフレーズをまとめて、主語とする

・p114を「そのような一連のこと」を「一連のパワハラ」と表現すると・・・
 誰かを悪者にしてしまうリスクや、一般化になってしまって、特定の体験から外れてしまう
 ⇨ 会話の中で瞬時に判断できるのだろうか?
・「パワハラ」のような概念化された言葉は、解釈や意味付けが様々なので扱いづらい
・外在化する時に、「人と問題の2つの矢印」を意識できていないことが多いが、確かにどんなことがこの人に影響を及ぼしているのか、という視点で見ると外在化しやすくなるかもしれない

第7節 相手の表現に含まれている感情や考え方

・p115の例は、「寂しさ」をメタレベルからの質問のバリエーションが多いように感じる
・カウンセラー側の質問に意図がある。その意図によって外在化の表現や問いかけ方が変わってくる
p116 意図を組み込むことによって、会話の方向性を期待する

※今回はここまで。次回は第7節あたりから第8節、ワークを取り扱う

3.所感

改めてこうして確認してみると、外在化において大切なことが詰まっている。普段ここまで考えていなかった。

p102のパレの引用の中にある言葉は「中古品」という捉え方は、ナラティヴが社会構成主義を度際にしていることを思い出させてくれた。他者の言葉の使い方に違和感を覚えることはよくあることだが、自分も他者も「中古品」の言葉を使っている。使う言葉をどのような意味で使っているかのすり合わせの大事さを思うと共に、言葉の定義の正しさを議論することの虚しさを感じる。

その場ではさらっと聞き流してしまった他の参加者の体験の開示を、改めて見つめ直すと、ご本人にはとても大きな気付きや心の解放が生まれていた体験を共有してくださったんだ、とありがたさを覚えた。一方で、その場でその思いを受け取れなかった申し訳なさも芽生えた。

相手の言葉をしっかりと組み込んで要約する「編集記」を繰り返すことがくどいと感じられるときは、相手の話を受け取りつつ一つのまとまりとして外在化して質問することができる(p113)ということは、外在化の質問と伝え返しをリンクさせた取り組みが可能と受け止めた。可能性の広がりを感じる

著者の国重さんは、第6節の最後や第8節でも「問題が人に与える影響」「人が問題に与える影響」をイメージすることが、外在化の質問に役立つと述べている。今回の読書会の中では、取り上げられなかったけれど、ふりかえって見ると、やはり重要なポイントなんだと感じた。



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