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山田康雄の魅力

前置き

2005年の4月にMixiに参加してから約15年。

ブログ、Twitter、Instagramとその時々のSNSで駄文をネットの海に撒いてきた。長文を書く時間が年々無くなり、最近はTwitterでたまにつぶやく程度だったが、世の中の状況と自身の生活環境が変わり、少し長めの文も書きたくなったので、今度はnoteに手を出してみることにした。

お話変わって

さて、初めの記事は何にしようか。やはり、15年以上「やすべい」を名乗っている以上、「ヤスベエ」について語らないわけにいかないだろう。

「ヤスベエ」こと山田康雄、「永遠のルパン三世」についてである。

山田康雄は言わずと知れた(本人は嫌がるだろうけど)声優のレジェンドで、没後26年経つが、定期的に「カリオストロの城」が放送されることもあってか、未だに過去の人にならない。

ルパン三世に関連して直近発売となった以下の記事でも言及があるし、BSやCSでは度々彼の吹替作品が放送されている。ネットを検索すれば、画像や動画が転がっている。私がMixiを始めたような、十分にネットが一般化されていなかった2000年代初頭とは比べものにならないくらい格段に知る機会はあるのも一因だろう。

一方で、ルパン三世の声が変わって26年経ち、ついに栗田貫一の方がルパン役が長くなった。次元以外のメインキャストも2011年に変わり、長く続いた栗田貫一への批判も今や過去のものである。

それでもやはり山田康雄の方が良い。そう感じさせるものは何か。

それが今回語りたいテーマである。

端的に言うと

山田康雄の魅力、それを最も端的に語っているのは、ルパン三世TV第1シリーズの演出を手掛けた大隅正秋(現・おおすみ正秋)であると思う。

それは洗練されたなかにも、その裏側にのぞく虚無的でどす黒いものを表現すること(山田康雄メモリアル~ルパン三世よ永遠に~(かきあげこ編 1995年徳間書店)より)
役者の技術だけではできない、彼自身のもつニヒルでダンディーで、腹の底には虚無的なものがあって…(同上)

ルパン三世は一見おちゃらけてノリの軽いキャラクターに見える。

しかし、ルパンは善人ではないし、映画「ルパン三世」(1978年(いわゆる「ルパンVS複製人間」))でマモーに「ルパンは夢を見ない」と言わしめた、リアリストである。その虚無感、あのニヤッと口を歪めた空虚な笑みこそがルパン三世だ。

大隅正秋の言う通り、この虚無感を役に滲ませるのは大変に難しい。

最近は器用な役者が多いので、テンプレート的に暗いトーンで演じ、冷ややかに笑うことは出来るかもしれない。しかし、笑った後に虚しさが響くような芝居は、やはりそういう役者からしか出ない。

「ニヒル」と言う言葉が昭和以降あまり一般に聞かなくなったように、平和で安定した生い立ちを持ち、快活な役者が好まれる現代において、そもそも陰のある役者と言うもの自体が育ちにくい環境にあるのだ。

山田と栗田

交代してしばらく栗田貫一が批判されたのも、ここに一因があると思う。

一般には演技力とか声質の違いに批判があったと記憶していて、勿論それもあったと思うが、その根底にあるのは「明るさのトーン」ではないだろうか。

栗田貫一はものまね芸人であり、陰と陽で言えば、陽のキャラクターだ。

ルパンのものまねも「ルパ~ンさ~んせ~い」や「ふ~じこちゃん」に代表される山田の陽の部分だった。芸としては当然こちらの方がウケるが、それは山田ルパンの表層部分で、この芸に大隅正秋が言うような、「どす黒いもの」は皆無だ。栗田ルパンの笑いは影の無い快活な笑いだったので、敏感なファンは言葉にならない感情で拒否反応を示したのではないかと思う。

それを裏付けるように、「LUPIN the Third -峰不二子という女-」(2012年)以降、ダークなトーンも演じられるようになった栗田貫一は、「自分のルパンを演じられるようになった」と語るようになったし、時間経過と他キャストの交代などの要因はあったものの、この頃からクリカン批判はあまり聞かなくなった。

山田康雄の魅力とは

山田康雄の魅力はつまるところダークヒーローの魅力だ。ダークヒーローの魅力とは、突き詰めれば人間味だ。ダークヒーローは四角四面に正義を信奉するヒーローと違って、苦悩やいきさつ、謎めいた魅力があるもので、視聴者はそこに共感や同情をする。

ルパンが楽し気に笑い、飛んだり跳ねたり大冒険を繰り返しても、ふとした瞬間に寂しさや虚無がよぎる。そこに我々は王道ヒーローとは違った魅力を感じるのであり、その人間味を声優でありながら言外に滲ませる山田の演技力に魅了されるのだと思う。

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