散歩で見た少年サッカーの光景

家から少し離れた緑地公園へ行く。すでに紅葉が進んでおり、木々が美しい。名古屋という都会ながら、自然の美味しい空気を吸いながら愛犬の散歩をする。

グラウンドでは少年サッカーの試合をしていた。DNAにまでサッカーが染み付いている身としては、少年サッカーでも高解像度でプレーを解釈してしまう。
「カバーリングが上手い」
「そこは密集エリア」など。
つまるところ、見ていて面白い。

ふと、監督のコーチングも耳に入る。頑張れ的なエールを送るチーム、かたや厳しい劇を飛ばすチーム。ここで気になったのは劇の飛ばし方。
「なんでシュート打たないんだ!」

「なんでシュート打たないんだ!」
シュートを打たずにパスをした選手への言葉。正直、とても嫌な言葉だ。
監督の思いは「シュートを打って欲しい」だろう。それは分かる。しかし試合中に「なぜできない」を問うことは意味のある問いなのだろうか?
つまり選手の立場に立てば、試合中にその答えを本当に齟齬できるのだろうか?
選手に「シュートを打っていい」と判断させるなら、シンプルにそう伝える、劇を飛ばせばいいのではないだろうか?
「なぜできない」を試合中に問う監督は、自分の思い通りに選手を動かしたいだけなのではないだろうか。そんなふうに感じた散歩道だった。


試合中になぜを問うのではなく、いかに打ってもらうかを考えられるコーチング。前向きな判断を後押しできる。その方が選手も成長できると思う。
なぜを問われる=ミスを責められる。そうなると、自分の判断ではなく監督の正解を探す選手になるのではないだろうか。

なぜを議論するのは試合後でいい。

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